ドイツの古城【ノイシュヴァンシュタイン城】

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ノイシュヴァンシュタイン城

あの人気者ネズミさんたちがいるお城のモデルにもなっていますね。
緑の森に囲まれた岩山に白亜の外観がよく映えます。
世界の古城の中でもダントツで行ってみたいお城の一つです。

 

国名/所在地

ドイツ連邦共和国 / 南部バイエルン州バイエルン・シュヴァーベン地方

 

概要

バイエルンの4代目王ルートヴィッヒ2世によって、オーストリア国境近くのフュッセンに建てられました。

近隣には、幼少期を過ごした、父マクシミリアン2世(バイエルン王)の所有するホーエンシュヴァンガウ城があります。

ノイシュヴァンシュタインの名は、ホーエンシュヴァンガウのある地に、かつてシュヴァンシュタイン城があり、その名にちなんで1886年に付けられました。

”ノイ”はドイツ語の「新しい」という意味。当初はホーエンシュヴァンガウ新城と呼ばれていました。

”シュヴァンガウ”とは「白鳥の地」、シュヴァンガウ村を指します。

ノイシュヴァンシュタイン城は、石造りではなく、鉄骨組みのコンクリートやモルタル製で建設されており、絢爛豪華に装飾されているわりに、耐久性は低いとされます。

もともとが軍事政府用の要塞でも、外交としての宮殿でもなく、ルートヴィッヒ2世のロマンチック(メルヘンチック)な趣味のために造られました。

ドイツの城には必ずあるとされる小聖堂や墓地などがなく、”ヴィーナスの洞窟”と名付けられた人工の洞窟が、玉座より優先して建設されました。

城内は国王が心酔していた、リヒャルト・ワーグナーのオペラの名場面が描かれており、その一角にはタンホイザー伝説を再現した洞窟があります。

♔まさにファンタジーとメルヘンの世界です。かと思えば・・・セントラルヒーティングの暖房や水洗トイレ、水道、電話といった、19世紀とは思えないハイテクな装置が完備されていたそうです。

 

建築様式

外観=ロマネスク様式 / ピザンチン様式
内部=後期ゴシック様式

 

建設の歴史

ルートヴィッヒ2世が王となって4年目の1868年、ノイシュバンシュタイン城の築城が命じられます。

1869年、ホーエンシュヴァンガウ城の目前に着工します。

♔ノイシュバンシュタイン城って19世紀に建てられたお城なんですね。日本は幕末~明治時代に入る激動の年だわ(・・;)
 案外新しいお城だった・・・。

設計を担ったのは専門の建築家ではなく、宮廷劇場の舞台装置と舞台芸術担当のミュンヘン画家クリスティアン・ヤングでした。

王のロマンチシズムを追求した世界を実現させる事が最優先事項でした。

♔王は古代神話や中世の騎士物語にどっぷり嵌っていたので、とにかく芸術思考な城を建てるのが夢だったんですね。

ルートヴィッヒ2世は、このノイシュバンシュタイン城以外に、リンダーホフ城、ヘレンキムゼー城の建設を始めます。

さらに、ファルカンシュタイン城の建設計画を立てていました。

それらの費用は、プロイセン王国によるドイツ統一を支持した見返りとして、ビスマルクからの資金と王室費からの支出で借金を積み重ねます。

その上、バイエルン国はプロイセン王国から普墺戦争(ふおうせんそう)(✽)の損害賠償を抱えていました。

頭を抱えた当時の首相ルッツらは王を精神鑑定にかけた結果、統治不能と判断し、ベルク城へ軟禁しました。(精神鑑定は形だけのものだったという説もあります。)

1886年6月12日に廃位となり、その翌日、王は医師と共にシュタルベルク湖で水死体となって発見されます。

王がノイシュバンシュタイン城に居住したのは、わずか100日余りとされています。

お城は夢の途中で終わりを告げ、工事は中止となりました。

もともと実用性があまりない為、公的には施設として使用されませんでしたが、城と内部は観光施設として一般公開され、現在もなお、人気の高い名城のひとつとなっています。

 

まとめ・感想

ノイシュヴァンシュタイン城の魅力といえば!

外観と周りとの調和が素晴らしい!
写真映えがとにかくいい!

どの角度からの写真も独特の雰囲気を醸し出していて、ロマンチストな王はセンスが良いなーヽ(*´∀`)ノって、この城を初めて写真で見たとき思いました。

ただ国王としては・・・。

趣味に財政注ぎ込んでたら国は崩壊します。首相たちのやった事は賛成できませんが、もう少し周りに目を向けることができたなら・・・。

でも今やドイツの観光スポットで1,2を争う人気スポットとなるなんて、誰が予想できたでしょうね。

王は生前に

私が死んだらこの城を壊せ」

と遺言をしていたという記述もありますが、

「壊さないでいてくれて本当に良かった! ありがとう!」

と、思うのでした。

 

アクセス

ミュンヘン中央駅⇒特急で約2時間⇒フュッセン駅⇒バス約8分⇒ホーエンシュヴァンガウ村⇒麓までバスを乗り継いでお城の近くまで。(鉄道は、バイエルンチケットなるものがお得だそうです。)

※アクセス及び、チケット情報については、あくまでも”参考まで”と思っていただけたら幸いです。その都度、各公式サイトにて、お調べ下さい。

 

✽1866年に開戦、プロイセン王国とオーストリア帝国のドイツ統一の主導権をめぐる争い。プロイセンが勝利した。

 

参考資料:ヨーロッパの古城+宮殿がよくわかる本/桐生 操 監修(株)レッカ社編著 2010年

参考資料:世界歴史の旅 ドイツ-古都と古城と聖堂/魚住昌良著 株式会社山川出版 2002年

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