フランスの古城【シャンボール城】

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シャンボール城


Julia CasadoによるPixabayからの画像

ロワール渓谷の古城郡の中で最大の規模を誇る、フランス・ルネサンス様式のお城です。世界遺産に登録されていますが、2017年に公開されたディズニー映画「美女と野獣」のモデルになった事で知った人もいるのでは。

 

国名 / 所在地

フランス共和国/フランスロワール=エ=シェール、シャンボール

 

概要

英仏百年戦争(✽1)後のフランスを、富と権力による強国にしたフランソワ一世が、ハプスブルク家に誇示する目的で、シャンボール城は建設されました。1519年~1685年。

ロワール渓谷の中でも一際壮麗なファサード(正面)で、高さ128m、幅150m以上、奥行117mという広大さ。

お城の周りには、パリ市とほぼ同じ広さ(13000エーカー)の森林公園が広がっています。

全体的には、フランス・ルネサンス建築様式の宮殿ですが、屋根にはゴシックの小塔と煙突が合わせて365塔あり、その立ち並ぶ外観はかなりインパクトがあります。

シャンボール城は、特に城としての機能はありません。また、住居としても不向きなお城です。

そもそも、フランソワ一世が狩猟小屋として短期滞在用に建設されているのですから無理もありません。

1515年、20歳で即位したフランソワ一世は、イタリア遠征でルネサンス文化をフランスへ持ち込んだ人物です。

そこでダ・ヴィンチの才能に入れ込み、アンボワーズ城近くにクロ・リュセ城を用意し毎晩語り合ったと云われています。

シャンボール城は大改修を終えて17世紀、ルイ14世が統治した時に完成しました。

 

建築様式

ルネサンス様式、ゴシック様式

 

建設の歴史

フランソワ一世の狩猟のための館として1519年着工。1537年に主館が完成。東翼は1539年、西翼は王の死後1550年に完成されました。

現在のフランス・ルネサンス様式の城として1685年に完成します。

設計者不明、レオナルド・ダ・ヴィンチの意見を取り入れていたという説があります。

フランソワ一世亡き後、80年以上シャンボール城は放置状態でした。

1639年、ルイ13世が弟のオルレアン公ガストンに城を与えます。オルレアン公は修繕をし、再びシャンボール城は息を吹き返します。

ルイ14世が巨大な本丸を修復して、調度品を備えていき、狩りにも出かけたりしたが1685年、この城を放棄してしまいます。

ルイ15世は、妃マリー・レクザンスカの父で、元ポーランド王の義父スタニスワフ・レシチニスキ(フランス名:スタニスラス・レクザンスキ)へ城を委ねたあと、サックス元帥に戦いでの功績を称え、4万リーヴルとシャンボール城を与えました。

1809年には、ナポレオン・ボナパルトがフランス陸軍指揮者ベルティエ(ワグラム大公)に、放置されていたシャンボール城を、世襲貴族領として与えました。

♔ベルティエはわずか17歳で将校となり、ナポレオンと共にイタリア、エジプトを遠征するのですが、1814年、ナポレオンを裏切りバンベルクで亡くなります。死因は自殺か他殺か不明とのこと。

1821年~1883年の間、ボルドー公(後のシャンボール伯)アンリ・ダルトワが城主となり、亡き後は、姉の息子パルマ公ロズベルトヘ、そして、その息子エリアスへ託します。

一度修繕を試しみますが、第一次世界大戦で立ち消えになってしまいます。

その後、シャンボール城はフランス政府の資産となり、第二次世界大戦が終了した1945年以降にようやく城の修繕が始まります。

1981年、ユネスコの世界文化遺産に登録されます。

2017年、庭園の修復工事が完了しました。

 

城内と特徴

城内は部屋の数440室、階段が84箇所もあり、その内の天守には、レオナルド・ダ・ヴィンチがアイデアを出したと言われている、2重構造の螺旋階段があります。この階段は上りと下りがすれ違わない構造になっています。

♔日本の福島県会津若松市にある栄螺堂(さざえどう)は2重らせん構造の斜路で有名ですが、シャンボール城の2重の螺旋階段の構造が、周り巡って伝わったのではないかとされていますが、物証はないそうです(=_=)

金の刺繍を施した天蓋付きのベッドがある「王の寝室」、フランソワ一世の紋章である、サラマンダー(✽2)の彫刻が2重構造螺旋階段をはじめ、至る所で見られます。

自室のステンドグラスには、ダイヤの指輪で「女はよく心変わりをする。それを信じるは愚か者」と刻まれています。(数多くの愛妾がいたとされる王の逸話だそうです。)

フランソワ一世はすでにブロワ城アンボワーズ城を建てており、このシャンボール城では新しい試しみをしています。

ロワール川の流れを変えて城の庭に引き込んで、幅広い堀としました。しかし、ルイ15世からシャンボール城を下賜された、マレシャル・ド・サックス元帥によって堀は殆ど埋められてしまいました。

 

まとめ/感想

フランソワ一世は、シャンボール城に滞在したのは6ヶ月の間で、わずか1週間ほどだったようです。無数にある暖炉があったにも関わらず、壮大すぎる城を温めることは出来なかったようです。(^_^;) フランスは寒いよね・・・。

建てた理由はともかく・・・・・・

シンメトリーの外観がとにかく美しい!!

これにつきますねo(^▽^)o

 

アクセス

国立狩猟区内の為、公共の交通機関で行くには時間がかかるそうです。バス・ツアーか、レンタカーありきで!

 

✽1 1339年~1453年に及ぶ、イギリス王とフランス王の、王位継承、領有権をめぐる争い。封建領主層の没落、王権の統合が進み国民国家形成へと大きな変動をもたらした。戦場はフランス内部のみで、フランス軍の聖女ジャンヌ・ダルクの活躍でフランスに勝利をもたらしました。

✽2 ヘビ、あるいはトカゲの形をした火の精霊。フランソワ一世は「Nutrico et extinguo」(我は育み、我は滅ぼす)という銘と共に、これを紋章としていました。

 

参考資料:ヨーロッパの古城+宮殿がよくわかる本/桐生 操 監修/(株)レッカ社編著/2010年

参考資料:世界でいちばん美しいお城/水野久美 著/大和書房/2014年

参考資料:世界一美しい夢のお城図鑑/㈱宝島社/2014年

他多数のWebサイトから参考にしております。

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