フランスの古城【シュノンソー城】

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シュノンソー城

ロワール川の支流、シェール川をまたぎ建つシュノンソー城。

白亜の優美な姿には、女城主たちの熱い思いが込められていました。

 

国名/所在地

フランス共和国/アンドレ=ド=ロワール県、都市トゥール、シュノンソー

 

概要

シュノンソー城はさまざまな変換を経て、フランソワ一世の次男アンリ二世から、寵妾ディアーヌ・ド・ポワチエへ送られました。

しかし王の亡き後、王妃カトリーヌ・ド・メディシス(✽1の城となり、代々6人の女性たちが城主となっています。そのため「6人の女の城」という別名が付いています。

城は15世紀の城塞の名残があるマルクの塔」。16世紀初期のルネサンス様式の棟、シェール川に架かる橋は3層の回廊(ギャラリー)となっています。

 

建築様式 

ルネサンス様式、ゴシック様式

 

建設の歴史

シュノンソー城の起源は11世紀。当時製粉所だった跡地に、1411年に建てられました。地下1階~3階まで、部屋の数が20室以上と言われています。

初代城主はジャン・マルク。国王軍から扇動罪の罪により、火をつけられます。その後お城を再建します。

1513年、相続人ピエールマルクは、シャルル八世の侍従トマ・ボイエに城を売却します。

1515年~1521年、ボイエはシェール川をまたぐシュノンソー城を建てるため、塔だけ残し全て壊してしまいます。この時に建設の指揮をとっていたのはボイエ夫人カトリーヌ・ブリソネと言われています。その後、塔もルネサンス様式へと変わっていきました。

ボイエ夫人はフランソワ一世やフランスの貴人を、2度に渡り城へ招待します。その後、ボイエ夫人の息子によって国庫の債務のため、お城はフランソワ一世へ献上されました。

1547年、フランソワ一世亡き後、息子のアンリ二世によって寵妾ディアーヌ・ド・ポワチエへ贈られました。

ディアーヌはアーチ型の橋を建設し、お城を対岸と結びます。

また、花や野菜、果樹などを次々植えさせ、氾濫に備えるため川の石のテラスで補強しました。四つの三角形が配置され、美しく洗礼されたフランス式庭園が作られました。

1555年、王にあった所有権が移り、シュノンソー城はディアーヌの資産となります。

1559年、アンリ二世亡き後(馬上の一騎打ちによって、衛兵隊長のガブリエル・モンゴメリに敗れてしまいました。)、王妃カトリーヌ・ド・メディシスは、ディアーヌを城から追い出してしまいます。しかし、王室の資産ではないため、持っていたショーモン城と無理やり交換させたと言われています。

♔実は、シュノンソー城よりショーモン城の方が付属する領地収入が多く、合意の上だという説もあるとか。でもディアーヌはほとんどショーモン城で暮らすことはなく、ロワールの自分の城であるアネ城にて、67歳でその生涯を閉じました。

カトリーヌ王太后は城主となって、ディアーヌの庭と反対側に自分の庭を作ります。また、フランスの摂政にて、城とパーティーにかなりお金を使っていました。

♔1560年、カトリーヌの息子フランソワ二世の戴冠祝賀行事の際、フランスで初めての花火が打ち上げられました。

1577年、カトリーヌはディアーヌが作ったアーチ型の橋を増設し、三層の回廊をもつギャラリー仕様に一新します。

1589年、カトリーヌの死後お城は、フランソワ二世の弟アンリ三世の奥方ルイーズ・ド・ロレーヌ=ヴォーデモンが相続します。しかし、滞在中に夫アンリ三世の暗殺を知らされます。

流産のためうつ状態だったルイーズは、夫への哀悼を示す白い衣服を常に着用するようになったことから、「白衣の王妃」と呼ばれていました。以後、夜な夜な城内を彷徨い歩くようになってしまいます。

1601年、ルイーズはオーヴェルニュのムーランで死去。カプチン会の修道院に葬られその後、サン・ドニ大聖堂に眠る夫アンリ三世のもとへ改葬されました。

1624年、アンリ四世の愛妾ガブリエル・デストレからその後、息子ヴァンドーム公セザール・ド・ブルボンその妻であり、ルイーズの姪で相続人のフランソワーズ・ド・ロレーヌの資産となります。そこからヴァロア朝の遺産として代々引き継がれ、100年以上が経過します。

1720年、ブルボン公ルイ・アンリがシュノンソー城を買取ります。調度品を少しずつ売却し、彫像の多くはヴェルサイユ宮殿へと収められました。

1733年、地所は大地主のクロード・デュパンへ売却されます。

クロードの妻ルイーズ・デュパン(フランスの女流作家ジョルジュ・サンドの祖母)は、啓蒙運動(✽2)指導者たちをお城へ招待し、シュノンソー城を復活させました。

デュパン夫人は近隣の住民たちから、その人柄の良さで親しまれていました。その為か、その後に起きたフランス革命の際も「シュノンソー城は攻撃をしないでおこう」となったとされています。

♔ロワールの古城の宝飾品や絵画といった貴重なもののほとんどが破壊され消失してしまっているにも関わらず、シュノンソー城だけは、当時のまま残っているそうですよ(^_^)

また、シュノンソーの綴りを「Chenonceaux」から王政のシンボルと共和政の区別をするため、最後の ” x “ をはずして「Chenonceau」としました。公的文書としては支持されていませんが、城の綴りは後記で定着しているそうです。

1864年、ガス灯でひと財産を築いた、ダニエル・ウィルソンというスコットランド人が娘のためにシュノンソー城を購入します。しかし、カトリーヌ・ド・メディシスの伝統に従って手の込んだパーティーなどを行い財産を使い果たし、お城は差し押さえとなりました。

1891年、キューバの大富豪ホセ=エミリオ・テリーへ売却されました。

1896年、城は同族のフランシスコ・テリーへと渡ります。

1913年、チョコレート業者であるムニエ一族が城を購入し、現在も所有しています。

第一次世界大戦の期間(1914年7月~1918年11月)、お城のギャラリーは病棟として使用されていました。

その後の第二次世界大戦の期間(1939年~1945年)には、シェール川をはさみ、ナチス占領区側からヴィシー区側へ脱出する場所となっていたとされます。

1951年、ムニエ一族は、お城の修復をし、また美しい姿を取り戻していきました。

後期ゴシック初期ルネサンスが混ざり合うシュノンソー城は、現在は一般公開されており、フランスではヴェルサイユ宮殿に次いで訪れる人が多いそうです。

 

女性ならではの自由な発想と暮らしやすさ

◆マルクの塔・・・トマ・ボイエは最初、塔だけを残しお城を全て壊しましたが、その後塔はルネサンス様式へ建て替えています。

シュノンソー城が整備される以前の、中世の城の面影だけを残した前庭と塔の隣には、マルク家の紋章であるキメラと鷲の装飾が施されています。

さらにフランソワ一世の時代に施された木の彫刻と絵があり、左側にトマ・ボイエ、右側に妻のカトリーヌ・ブリソネのそれぞれの紋章が描かれています。そしてトップには、フランソワ一世の紋章であるサラマンダーと、「フランソワとクロード、神の恵深きフランス王と王妃」と銘があるそうです。

◆ギャラリー・・・1576年、フィルベール・ド・ロームの設計により、カトリーヌ・ド・メディシスはギャラリーを「ディアーヌの橋」の上に増設しました。

長さ60mにも及ぶ回廊の床は、スレートと石灰岩タイルになっています。二階以上の床は木造になっており、一階から見る天井は横張が剥き出しになっています。

ギャラリーの両端にある暖炉は美しいルネサンス様式で、現在も使用されています。

♔大きな暖炉は見事な装飾が施されています。写真で見てもため息が出ちゃいます(´▽`)

◆階段・・・城というものは、軍事的な理由から時計回りに登る螺旋階段で造られるのですが、このお城ではまっすぐな階段が設けられています。そして他の部屋を経由せずに廊下があり、女性が建設の指揮をしたとあって、自由な発想暮らしやすさが第一に優先された造りになっています。

◆庭園・・・マルクの塔をはさみ、右側にカトリーヌ・ド・メディシスの庭園があり、その反対側にディアーヌ・ド・ポワチエの庭園が広がっています。ディアーヌの庭園は12000m2、カトリーヌの庭園は5500m2とされており、ディアーヌの庭園の広さに圧倒されるとか。どちらもフランス式庭園となっています。

 

まとめ・感想

シュノンソー城は、世界遺産【シュリー=シュル=ロワールとシャロンヌ間のロワール渓谷」に含まれています。

ディアーヌはとても美しく、洗礼された女性だとされ、一方のカトリーヌ王妃は、14歳でアンリ王子(アンリ二世)の正妻になりました。

年若いカトリーヌを、ディアーヌは厚遇し、親身に接していたと云われています。恩人でもあるが、夫の愛人でもあるディアーヌに対し、胸中は実際のところ、本人だけしかわからない事ですね・・・。ある意味ギャラリーは、カトリーヌとディアーヌの共作になってますよね(^-^)

 

✽1 夫、アンリ二世亡き後、摂政として16世紀中頃のフランスの実権を握っていました。ユグノー戦争のさなか、カトリックだった彼女は立場上、プロテスタントを弾圧。1572年、サンバルテルミの虐殺の黒幕と言われていますが・・・。

✽2 啓蒙思想((けいもうしそう)または、啓蒙主義(けいもうしゅぎ))とは、17世紀~18世紀にイギリス、フランス、ドイツなどで起こった、理性による思考の普遍性と不変性を主張する思想。(出典:Wikipediaより)

 

参考資料:ヨーロッパの古城+宮殿がよくわかる本/桐生 操 監修(株)レッカ社編著 2010年

参考資料:世界一美しい夢の城図鑑/世界のお城研究会 編/宝島社 2014年

他多数のWebサイトから参考にしております

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