コカ城
Ignacio BozaによるPixabayからの画像
ムデハル様式の美しさと、機能性に優れた城塞ーコカ城
国名/所在地
スペイン王国/カスティーリャ・イ・レオン州、セゴビア、コカ
概要
コカ城は15世紀にセビリア大司教フォンセカの命によって建造された、ゴシック=ムデハル様式の城塞です。
お城の周囲には深い堀がめぐらされており、煉瓦やタイルで組まれた厚い壁、敵からの侵入を感知する無数の塔、水攻め用の貯水池など要塞技術をふんだんに盛り込んでいます。武器庫は幾何学模様のゴシック式リブのヴォールトを備えています。
19世紀にナポレオン軍に破壊されてしまいます。その後農林省が買取り修復されました。現在はアルバ侯爵が所有しており、農業省に貸与されています。農林学校が開設されて一部公開されています。
15世紀の壁画や石像が残されており、保存状態が良いとされています。
建築様式
ゴシック=ムデハル様式(スペイン様式)
建設の歴史
1439年、カスティーリャ王室領のコカの村は、初代サンティジャーナ侯イニゴ・ロペス・デ・メンドーサに与えられます。その後セビリア大司教となるアロンソ・デ・フォンセカに渡ります。
1453年、お城の建設に対しての国王認可状が下ります。
1473年、後継者のアロンソ・デ・フォンセカ・イ・アセベートにより、お城の建設が命じられました。お城では盛大なパーティーがしばしば行われ居館へと改修されます。
1504年、アントニオ・デ・フォンセカの所有となります。セネーテ侯爵による攻撃を防ぐため、大規模な改装がされました。
1521年、アントニオ・デ・フォンセカはメディーナ・デル・カンポ(✽1)の放火に対する報復を受けコムネロス反乱軍(✽2)により、アラエホス近郊にある要塞を破壊されます。この時反乱軍はコカ城に近づくことが出来なかったとされます。
17世紀、城内にアンダルシーア王を公言した事をとがめられたメディナ=シドニア公ガスパール・ペレス・デ・グスマンが囚われました。
19世紀、お城はフォンセカ一族から売却されアルバ侯爵家に移ります。
1931年、歴史的文化財に指定されます。
1954年、スペイン農業漁業食糧省に貸与されます。
1956年~1958年、森林研修学校の宿泊施設のために改修が行われました。
まとめ・感想
ヨーロッパのお城と言うと石造りで華やかな古城が目を引くんですが、コカ城の様に見た目の派手さはないけども、じっくりとその美しい装飾を見ていたいと思わせてくれるお城も惹かれます。ちなみに『ムデハル様式』でスペイン随一といわれているのは、『サンタ・マリア・デ・メディアビーリャ大聖堂』だと云われています。1257年に完成した塔がムデハル様式最古の建築物だそうですよ(^-^)
✽1 15世紀~16世紀にかけて、定期市や見本市などで栄えた街です。王室の人々も訪れたり、財を成した人たちの邸宅が数多くあります。メディーナ・デル・カンポ駅から10分ほどのところに『モタ城』があります。このお城には1505年の夏~秋にチェーザレ・ボルチモアが幽閉されていたとされます。また、イサベラ一世が死去した地でもあります
✽2 スペイン王カルロス一世(神聖ローマ帝国五世)の絶対主義に対するスペイン都市の反乱。
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