プラハ城

ボヘミア国王や神聖ローマ皇帝の居城であったプラハ城。
中世の建造物が多く残る旧市街は世界遺産に登録されています。
国名/所在地
チェコ共和国/プラハ
概要
旧市街のヴルタヴァ川に架かるカレル橋を前に、小高い丘にそびえ建つプラハ城は『黄金の都』と呼ばれ、世界で最も古く大きい城郭です。
なんといっても最大の見所は、10世紀~1929年の完成までおよそ6世紀かけて建てられた【聖ヴィート大聖堂】です。
広大なゴシック様式で高さ約100m鐘楼は見応えがあります。(元はロマネスク様式の教会でしたが14世紀に改築されました。)城内は大部分が一般公開されており、博物館、美術館、大統領府が置かれています。
建築様式
ゴシック様式、バロック様式、ルネサンス様式
建設の歴史
870年にボヘミア公ポジヴォイ1世によって建てられます。1番最初の建築物は【聖母マリア教会】でした。10世紀に【聖ヴィート教会】と【聖イジー教会】を建設します。ボヘミアで最初の修道院は聖イジー教会の隣へ建てられました。
♔ボヘミアは現在のチェコの西部・中部地方を指す歴史的地名。(出典:Wikipediaより)
12世紀にはロマネスク様式の宮殿が建設されます。14世紀になるとボヘミアの黄金時代を築いた神聖ローマ皇帝カール四世の支配下、聖ヴィート教会は6世紀にわたり広大なゴシック様式へと再建されました。
その後ボヘミアの宗教改革やフス戦争(✽1)などがありその後10年は空位のままでした。
1485年にボヘミア王でありハンガリー王のウラースロー二世によりお城の再建が行われます。北側に防衛塔である、【ヴラジスラフ・ホール】が王宮に建設されます。北側に【防御の塔】が建設されます。
1541年、火事により甚大な被害を受けたお城は、ハプスブルク家の支配下において、新しくルネサンス様式で建設されています。フェルナンド1世は、妻のために夏の離宮として建設をされています
ルドルフ2世はお城を主としての居住とします。宮殿の北翼を建設し【スペイン・ホール】として自身の芸術コレクションを展示しました。
1618年、2度目の「プラハ窓外投擲事件(そうがいとうてきじけん)」(✽2)は「白山の戦い」へとなり、プラハ城はその間に荒廃していきます。
1648年、三十年戦争の間にルドルフ2世の多数のコレクション作品を失います。
女帝マリア・テレジア(ボヘミア女王)が18世紀後半にお城を大改築します。
1918年にチェコスロバキア共和国の成立、大統領府が置かれます。新王宮と庭園の修復をスロベニア建築家ジョゼ・プレクニクが手がけます。
第二次世界大戦の中、プラハ城はナチスにより占有され、解放後チェコスロバキア社会主義共和国の共産主義政府が置かれます。
アレクサンデル・ドゥブチェク指導の下「プラハの春」(✽3)を経て、チェコ共和国、スロバキア共和国と分かれました。その後プラハ城に新しく大統領府が置かれます。お城の改修と共にギャラリーの絵も修復されました。
プラハ城内の見所
旧王宮
アーチ天井が特徴のゴシック様式の【ヴラディスラフ・ホール】。
ロマネスク様式の宮殿の跡地に造られています。カレル1世の死後、ヴラディスラフ王が引き継ぎこの名前を付けたとされています。
柱が一本もなくアーチ型のヴォールトで支えられています。16世紀まではヨーロッパ最大の部屋であり、当時チェコの大公や王の執務室として使用されていました。
- 新国事録の間・・・天井一面にボヘミア家のライオンの紋章と、貴族、役人の紋章が描かれています。土地の台帳などが保管されています。
- 王冠のレプリカ・・・戴冠式で使用されてきた王冠のレプリカが展示されています。
ロブコヴィツ宮殿
この宮殿は城内唯一の個人所有でロブコヴィツ家の芸術コレクションのミュージアムとなります。有名な音楽家の手稿や楽器、絵画などが数多く展示されています。
またコンサートホールではクラシック音楽のコンサートが模様されて、宮殿の中に画廊とカフェがあります。
火薬塔
15世紀の終わりプラハ城の守護する要塞として建設されました。この火薬塔はさまざまな用途で使用されています。ルドルフ二世の時代には錬金術師の研究所として、またその後は牢獄としても使用されていました。
20世紀にはプラハ城の管理人の住居になり、現在は軍事歴史博物館になっています。
黄金小路
全長100mほどの古い路地はプラハ城内の東側の外壁を増築する時に造られた小路です。カラフルな住居が立ち並ぶ様子は人気スポットにもなっています。
それぞれの住居の中は見学が可能で当時の生活などが伺えるようになっています。衛兵の寝るための住まいで荒れ果てた事もあったため、見かねたマリア・テレジアが建て替えを命じて19世紀末に今の小路になったとされています。
Kirk FisherによるPixabayからの画像
聖ヴィート大聖堂
プラハ城最大の建造物で約6世紀かけて建てられた大聖堂です。(奥行124m、高さ約100m、幅60m)
中へ入るとまず天井に目がいくと言われています。そのアーチ状の天井は、『リブ・ヴォールト』という、14世紀当時での最先端技術の構造になっています。ドイツの建築家ペーター・パーラーによって設計されました。
もう一つの見所は、ステンドグラスです。なかでも、有名なアールヌーボーを代表するチェコの画家であり、グラフィックデザイナーであるアルフォンス・ミュシャの作品、「聖キリルと聖メトディウス」。
他に、「天地創造」の場面を描いたバラ窓のステンドグラスなどがあります。聖堂の内部は入口付近までが無料でその先は有料になります。
♔アルフォンス・ミュシャのステンドグラスの写真を載せられないのが残念ですが、Netにはいっぱい出ているので興味のある方は検索してみて下さい(^_^;)(←他力本願・・・すみませんm(_ _)m) 他の作品とは明らかに異なり色鮮やかで斬新☆彡
♔この聖ヴィート大聖堂は角度によって全く異なる建物に見えるそうですよv(ちなみにアイキャッチで使っているイラストは〈南ファサード〉側です(^_-)-☆)
南の庭園
2012年に最後の改築がありスロベニアの建築家ヨジェ・プレチニクが改修した1920年代当時の姿を再現しています。
- パラダイス庭園・・・1550年代にはフェルディナンド大公が自分用に造らせた城内最古の庭園がありました。またその後はルドルフ二世の私的庭園でもありました。1920年代に改修が行われました。芝生の中央には大きな御影石の鉢があります。一箇所大木があり、これは樹齢400年ともいわれるイチイの樹でプラハ城内で最古の樹と考えられています。
- ナ・ヴァレフ庭園(城壁上の庭園)・・・「ナ・ヴァレフ」という名はもともとお城の南側にあった城壁に由来します。そこに小さな庭園郡が造られていきましたが19世紀に自然公園に改装されます。
- ハイティグ庭園・・・こちらは一般に開放されていない庭園です。城の南側の庭園郡ではもっとも小さい庭になります。建築家アドルフ・ベネシュとリハルト・ポドゼムスキーの設計によるもので1965年に改築されています。
王宮庭園
1534年、ルネサンス式庭園として整備されています。ハプスブルク家のフェルナンド一世によって旧ぶどう園を買った土地に造られます。後々外国から珍しい植物を取り寄せ、エキゾチックな庭園として知られるようになります。
園内には宮廷娯楽施設が建てられていきました。19世紀半ばの英国風に改装し自然公園のような外観になっています。その一方でルネサンス様式の名残やバロック式要素も見られます。夏季のみ開放されています。
まとめ・感想
「プラハ城って一日で観光出来るのかしら?」と調べてみたら、所要時間:3時間~4時間(人気スポットで並ぶ事も含め)位とありました(*゚▽゚*) 以外に回れるものですね゚(o^^o)♪
今一番行きたい外国が『チェコ』なんです!しかしプラハ城はあまり知識がなく、もっぱら『チェスキー・クルムロフ』に思いを馳せていました。今回、いろいろ調べているうちにやっぱりプラハや、プラハ城も行きたい!となりました。建築や建造物に少しでも興味がある方は、一度は行きたい国であり、街であり、城なのではないでしょうか☆.。.:*・(なんといってもミュシャのステンドグラスを生で見たい!!)
(✽1) 15世紀、中央ヨーロッパにて起きたカトリック、神聖ローマ帝国とキリスト教改革のフス派との戦い。
(✽2) 第一次は1415年、宗教改革の先駆者ヤン・フス教授が異端者として火刑になりました。第二次は1618年、民衆がプラハ城を襲い王の使者ら5人を城の窓(3階)から地面へ投げ落とすという事件。これが三十年戦争の発端とされています。
(✽3) 1968年に起こったチェコスロバキアの変革運動
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