スロバキアの城郭【スピシュスキー城】

Pocket



スピシュスキー城

 


katkaZVによるPixabayからの画像

中欧で最も大きい古城、スピシュスキー城

映画のロケ地としても使われている美しい城郭です。

 

国名/所在地

スロバキア共和国 / 東部スロヴァキア、プレショフ県レヴォチャ郡スピシュスケーポドフラジェの郊外

 

概要

12世紀に建てられた城塞の跡地にタタール人(蒙古)の侵攻に備えて建築されたスピシュスキー城

ロマネスク様式に始まりゴシックルネサンス、バロックと混在した白く美しい城塞は、何度も侵攻、反乱を退け抵抗してみせる城郭でした。しかし主を失った後、廃城と化してしまいます。

 

建築様式

ロマネスク様式、ルネサンス様式、ゴシック様式、バロック様式

 

建設の歴史

12世紀に最初の要塞化した石城があったとされます。

13世紀前半、アンドラーシュ2世の息子カールマーンの所有となり、タタール人(蒙古)の侵攻に備えるためロマネスク様式の宮殿と城壁の建築がされました。また、ロマネスクとゴシック様式の三つの聖堂が建てられます。

13世紀後半、ラースロー4世の母エルジェーベト王妃(洗礼名)の所有となります。

1301年ハンガリー最後の王アンドラーシュ3世が死去し、王位継承の争いが起こります。そのためスピシュスキー城にも被害が及びました。城壁が一部破壊されます。その後ハンガリー新王カーコイ1世のもと、城壁が拡張されお城の一部はゴシック様式へ改造されます。

15世紀中頃、ヤン・イスクラ・ブランディスが城壁と広大な中庭、城壁塔を建築。その後、お城は国王の所有からサボヤイ家へと所有が移ります。後のトゥルゾー家に所有が変わるまでの間に、宮殿や礼拝堂、騎士のホールが改修されます。

16世紀中頃、サボヤイ家からトゥルゾー家へとお城の所有が移りルネサンス様式に改装され一世紀に渡り支配していきます。

17世紀になると後継者がないまま最後のミハウ・トゥルゾーが亡くなりツサースキー家へと所有が変わります。しかし18世紀初頭、ツサースキーはお城から離れてスピシュスキーワルホフ村へ移り住んでしまいます。スピシュスキー城は1780年に大火災に遭い、ツサースキー家では修復することもなくそれ以降廃城となります。

1970年以降、お城は復元のため遺跡や歴史的建造物の調査を始め今に至ります。現在は一部が博物館になっています。

1993年に「スピシュスキー城及びその関連する文化財」として世界遺産に登録されており、また2009年には、レヴォチャの街と周辺地域が追加されました。

 

混在する建築様式の城郭と美しい城下町

スピシュスキー城は中世の建築様式が混在している城郭です。その時代ごとの主流である様式を取り入れています。初期のロマネスク様式の塔ゴシック様式の礼拝堂16世紀にルネサンスへと改造された部分も見ることが出来るそうです。また、中世の城での生活の様子が再現された展示エリアがあります。

スピシュスキー城から2つの城下町が見られます。手前側にかつて経済的な役割を担ったスピシュスケー・ポドフラディ、奥には聖マルティン教会と大司教宮殿。また美しい田園風景も見られるそうです。お城の敷地は広く、城壁の一部を歩くことも出来るそうです。

 

まとめ・感想

13世紀にタタール人(蒙古)の侵攻に備えて築城したスピシュスキー城は、堅牢の城郭で何度も抵抗しています。しかし現代の家屋と一緒で、誰も住まなくなると荒廃していくのですね・・・。今現在も復元が進んでいるようなので、自分が行ける頃にはどこまで見られるか楽しみにしています(^-^)

♔スピシュスキー城はドラゴンハート(1996年米映画)や冬のライオン(2003年(リバイバル版)米TV映画)のロケ地にもなっていますが、なんと!ジブリアニメ「天空の城ラピュタ」のモデルだという噂があるとか・・・このアニメはモデルと噂されるお城がいくつあるんだろ・・・(・・;)

 

参考資料:世界でいちばん美しいお城/水野久美 著/大和書房 2014年

参考資料:世界一美しい夢の城図鑑/世界のお城研究会 編/宝島社 2014年

他多数のWebサイトから参考にしております

 

 

 

Pocket

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です