インドの古城【アグラ城】

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アグラ城(アグーラ)


Bishnu SarangiによるPixabayからの画像
ムガル帝国繁栄を物語る赤砂岩の城塞、アグラ城

 

国名/所在地

インド / 北部、デリーの南約200km アグラ

 

概要

ムガル帝国第3代皇帝アクバル帝が居城として建てたとされるアグラ城。アクバル帝は自分に敵対し歯向かう者たちに容赦がありませんでしたが、ムガル帝国を統治する為に人種や他宗教、異文化を受け入れていました。ヒンドゥ教徒を武将に据えたり、異教徒(ヒンドゥ)の女性を妻に迎えイスラム教徒とヒンドゥ教徒の融和をはかっていました。

アグラ城の多くはアクバル帝の孫に当たる第5代皇帝シャー・ジャハーンによって建てられたもので、ムガル帝国の栄華を築いていきます。

 

建築様式

アクバル様式 

♔アクバル帝により建てられたアグラ城は、イスラム建築とヒンドゥやジャイナの伝統的建築を統合しインド独特のイスラム建築を生み出します。

 

建設の歴史

1565年、第3代皇帝ェラールアッディーン・アクバルにより居城として赤砂岩のアグラ城が建てられます。第2子、第3子ともに悲劇に見舞われたのち、嫡男ジャハーン・ギールが第4代目皇帝となりますが、波乱に満ちた私生活を送ったとされます。

1628年~に第5代皇帝となるシャー・ジャハーンによりアンガリー庭園モスクをはじめ、公謁殿(ディーワーニ・アーム)、寝殿(ハース・マハル)などが白大理石で次々と増改築が進められていきます。

♔アクバル帝時代は元々城塞としての機能重視で造られた為、暑さで住みづらいとして第5代皇帝のシャー・ジャハーンに変わるまで半世紀くらいずっと使われていなかったとされています。シャー・ジャハーンは改修や増築を行い、宮殿としての機能を充実させ住み心地良くしていきました。

シャー・ジャハーンは15歳の時に一目惚れをしたペルシアの重臣の孫であるアルジェマンド・バヌー(ムムターズ・マハル)と結婚します。しかし妃は36歳の若さで病死。皇帝は彼女のために、国が傾くほどの財を使ってインドで最も美しい白い霊廟と謳われるタージ・マハルを建てました。

妃への愛情とは裏腹に彼は数多くの残忍な行為から息子であるアウラングゼーブによって、アグラ城内のムサンマン・ブルジェ(ジャスミンの館)に幽閉されます。最愛の王妃が眠るタージマハルの霊廟を眺めながら74歳でその生涯を閉じます。

♔シャー・ジャハーン帝はタージマハルの対岸に自分のお墓として黒いタージ・マハルを建てようと計画していたとされています。その事でも幽閉された理由の一つであったのかも・・・。

1707年、第6代皇帝アウラングゼーブが遠征先で倒れた後、それまでも戦ってきたインド北西部マラータ王国(✽1)に侵攻されアグラ城は占拠されてしまいます。その際に金細工や宝石、貴石、調度品などあらゆる物が兵士によって持ち去られました。

1803年、イギリス駐留軍が占領した時にはお城はすっかり荒廃し何も残っていませんでした。

1857年、インド人傭兵のシパーヒー(セボイ)の反乱(✽2)が起きた際には、アグラ城は戦場と化します。(戦死したイギリス人司令官コルビンの慰霊碑が公謁殿の前に建てられています。)

1946年~1949年、イギリスによる修復工事がなされます。

 

2重の西門、3重の南門と3つのモスク


赤砂岩のアマル・シン門

南と西に門があり、西門は2重になっておりデリー門】【象門】と呼ばれバザールへと通じています。南は3重でアマル・シン門】【アクバル門】と呼ばれ宮廷地区へと通じています。

南のアマル・シン門から濠を渡っていくと赤砂岩の【ジャハーン・ギール宮殿】見えてきます。白の大理石と金の装飾が見ごとです。アクバル帝の建てたもので残されている唯一の赤砂岩造りの建物です。宮殿の中庭にはヒンドゥとイスラム建築様式の融合が見られます。


美しい装飾のムサンマン・ブルジェ

そこから東にシャー・ジャハーンが幽閉されていた『ムサンマン・ブルジェ』があります。八角形の塔でここから妃の眠るタージマハルが見えます。

アグラ城には大きいモスクが1つと小さいモスクが2つあります。大きいモスクは【モティ・マスジド(真珠のモスク)】、小さいモスクのナギーナ・マスジド(宝石のモスク)】は女官たちの礼拝堂で、さらに小さい【ミーナ・マスジド(珠玉のモスク)】は屋根も窓もない皇帝の私的な礼拝堂になります。これら全てがシャー・ジャハーンによるもので、美しい白大理石によって城内を彩っています。

 

まとめ・感想

当初アクバル帝は居住の為にアグラ城を建てようとしていたはずだったのに、住みづらさが原因で耐えられず他へ移り住んでしまうって、権力者って本当にわがまま(-_-;)と思いつつ、確かにお城はとても住みやすいとは思えませんが(^_^;)

現在アグラ城のほとんどの建物が第5代皇帝シャー・ジャハーンによって建てられたもので、外側から見ると赤い城ではありますが、城内はシャー・ジャハーンが好んだとされる白大理石や見事な装飾の数々。写真で見ていてもため息が出ます。洗練された優美さを誇る建築物に財政をつぎ込んで最終的に息子に幽閉されてしまいますが、1983年にアグラ城は世界文化遺産に登録されています。

♔インドと言えば【タージ・マハル】ですが、こちらは古城ではなく霊廟。なので同じ人(シャー・ジャハーン)が深く関わっていた【アグラ城】にしました。赤い城塞から見える愛する妻の眠る白い霊廟を、どんな思いで見つめ毎日を過ごしていたのでしょうか

♔アグラ城塞は『赤い城(ラール・キラー)』と呼ばれていますが、一般的にインドの『赤い城』というとデリーにある『デリー城(Delhi Fort)』を指すそうです。

 

✽1  マラータ王シヴァージーがアウラングゼーブ率いるムガル帝国に対抗するため、1674年に建国したヒンドゥ教の勢力。シヴァージーの死後直系は力を失いますが、アウラングゼーブが倒れた後はまた盛り返します。その後イギリスに対抗しマラーター同盟を結成。独立し地方政権となります。

✽2  1857年~1858年、イギリスによる植民地支配に対する民族的抵抗運動、反乱。インド側では「第一次インド独立戦争」と呼ばれています。(出典:wikipediaより)

 

参考資料:世界一美しい夢の城図鑑/世界のお城研究会 編/宝島社 2014年

他多数のWebサイトから参考にしております

 

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