ドイツの古城【マルクスブルク城】

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マルクスブルク城

ライン川沿いの城郡で唯一陥落を免れたマルクスブルク城。

中世の面影が今も残る古城です。

 

国名/所在地

ドイツ連邦共和国/ラインラント=プファルツ州、ブラウバッハの南

 

概要

ライン川を通行する船の取り締まりや、通行税を徴収する税関の役割をしていたマルクスブルク城。改修していくたびに堅牢な要塞となっていきます。

数々の戦乱においても陥落せず難攻不落の城として知られています。

現在ドイツの古城保存協会により復元的な修復工事のおかげで中世の面影を残し当時を垣間見ることが出来る古城です。

 

建築様式

ロマネスクゴシック様式

 

建設の歴史

創建は13世紀初めとされ、ロマネスク様式のマルクスブルク城が完成します。その後1283年、カッツェネルボーデン伯の所有となり幾度も改修が行われゴシック様式を取り入れた堅牢な城塞となります。

1479年にカッツェネルボーデン家が断絶すると、所有していたマルクスブルク城、カッツ城、ラインフェルス城ヘッセン伯の所有となります。

17世紀に大砲の急激な進歩にともないお城に堡塁(ほうるい)を取り付け大砲台を装備します。30年戦争プファルツ継承戦争でも無傷だったお城は、1803年にナポレオン・ボナパルトによって没収されます。しかし友人であったナッサウ侯へ譲ることとなり、マルクスブルク城は破壊されずに済んだとされます。

1868年、プロイセン領となります。

1900年、ドイツの古城保存協会がマルクスブルク城を購入し、朽ちかけていたところを修復していきます。

1945年、第二次世界大戦でアメリカ軍に砲撃を受け損傷してしまいます。

現在は博物館としても一般公開されています。

2002年~ユネスコの世界遺産、「ライン渓谷中流上部」に含まれています。

 

2重の外郭と5重の門

難攻不落のお城とあってマルクスブルク城は改修や増築によって鉄壁な要塞を築き上げていきました。2重の外郭5重の門がその象徴として見て取れます。また出入り口は3階に取り付けられています。

第一の門は跳ね橋、第二の門は屈曲としたトンネルの通路、第三の門では頭上と側面の2方向から攻撃可能な仕掛けがされています。

お城の中央にそびえる塔は39mにも及ぶベルクフリート(天守閣)(✽)です。

1階と2階には窓が無く石牢と倉庫などに使われていたとされます。岩場を砕いて造られた騎馬階段を上ると砲庭に出ます。ライン川へ向けて数台の大砲が備えられています。

礼拝堂・・・マルクスブルクで唯一の礼拝堂です。聖マルコが祀られており、この城の名はマルコが由来とされています。

居館・・・14世紀に建てられたゴシック様式で、大きな広間や牛一頭丸焼きに出来るほどの大きな暖炉があります。

拷問室・・・拷問の道具などが展示されています。ここで本当に拷問が行われた事はないそうですが、『出る・・・』と言う噂があるとか・・・。

 

まとめ・感想

30年戦争でライン川沿いの城郭が次々と破壊されていく中、唯一陥落しなかったマルクスブルク城。その堅牢さもさる事ながら、その『運の強さ』に驚きます。第二次世界大戦で損傷しますが、復元修復により当時の姿をそのまま見る事が可能というのが嬉しいですね。

♔ 実は宮古島にマルクスブルク城のレプリカがあるそうです。しかも寸分違わずの形で!

調べてみたら・・・わたし的には微妙でしたので(^_^;) 興味のある方はその経緯など検索してみて下さい(←人まかせ)

(✽)城壁内に作られる居住用ではない強固な高い塔。ドイツ語『Bergfried』。ちなみに、フランス語では『Donjon(ドンジョン)』、英語では『Keep(キープ)』となる。

 

参考資料:世界一美しい夢の城図鑑/世界のお城研究会 編/宝島社 2014年

他多数のWebサイトから参考にしております

 

 

 

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