ドイツの古城【リヒテンシュタイン城】

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リヒテンシュタイン城

 


Hans BraxmeierによるPixabayからの画像

騎士物語『リヒテンシュタイン』の中世のお城を、崖の上に再現した古城です。

 

国名 / 所在地

ドイツ連邦共和国 / 南ドイツ、バーデン・ヴュルテンベルク州、シュツットガルト郊外、リヒテンシュタインの町

 

概要

フリードリヒ2世の甥ヴィルヘルム・フォン・ウラッハ公爵が、小説家ヴィルヘルム・ハウフの騎士物語『リヒテンシュタイン』に感銘を受け、狩猟の館を壊して断崖絶壁の上にリヒテンシュタイン城を築きます。

19世紀に、自身の中世への憧憬を形にしたウラッハ公爵のお城は現代もなお、訪れる人々を惹きつけ魅了し続けています。

 

建築様式

ネオ・ゴシック様式

 

建設の歴史

起源は12世紀頃と言われており、現在のお城とはまったく別物ですが、城砦や城壁があったとされます。

13世紀の帝国戦争によってこの砦が破壊されます。

1315年に再建するも、1377年~1388年にロイトリンゲン市民の反乱により再び破壊されます。

その後400年以上も廃墟のままでした。

1802年、ヴュルテンベルク公国侯爵フリードリヒ2世の領地となり、1803年にお城は取り壊されて狩猟の館が建てられます。

1806年、神聖ローマ帝国の解体により、王国となりフリードリヒ2世は初代ヴュルテンベルク王フリードリヒ1世となります。

1837年に国王フリードリヒ1世の甥であるヴィルヘルム・フォン・ウラッハ公爵(当時はヴュルテンベルク伯爵)が狩猟の館を相続します。

ウラッハ公爵は、ドイツの小説家ヴィルヘルム・ハウフの騎士物語『リヒテンシュタイン』に感銘を受け狩猟の館を取り壊し、1840~1842年にかけて建築家カール・アレクサンダー・ハイデロッフのもと、ネオ・ゴシック様式の中世を再現したリヒテンシュタイン城を築きます。

1945年~1446年、戦争によって損傷した部分の修復と塔の補強をします。

現在はウラッハ公爵の子孫に代々受け継がれており、一部を除き一般公開されています。

♔ 【リヒテンシュタイン】という名のお城はオーストリアのウィーンにもあります。こちらは、リヒテンシュタイン公国公爵家の出身地です。

オーストリアのお城と公国の綴りは【Liechtenstein】と綴りの中に”e”が入りドイツのお城【Lichtenstein】は”e”が入りません。この【Lichtenstein】は【Lichten】=明かり、光という意味で、【stein】=石という意味になります。

オーストリアのリヒテンシュタイン城は、映画『三銃士』/(1993年)のロケに使用されています。また、アニメ『ルパン三世 カリオストロの城』のモデルとされています。12世紀のロマネスク様式が、お城の一部とチャペルなどに見られるそうです。

 

城内の見所

武器の間・・・収集家であったウラッハ公爵が集めた数々の武器や甲冑などが展示されています。(日本刀もあるとか!)

礼拝堂・・・美しい装飾が施されている天井や壁は必見だそうです。

城内バー(狩人の間)・・・狩猟の後にお酒などを飲んだとされる木造りのお部屋です。

ここまでが1階にあるお部屋です。螺旋階段を上って2階へ

王の間(王の部屋)・・・天井は唐草模様の装飾画になっており、騎士の絵などが飾られています。(この部屋は国王フリードリヒ1世が宿泊したことによりこの名が付けられたとか。)

紋章の間・・・僧侶の絵や紋章が飾られているお部屋です。

張り出し窓の間・・・その名の通り張り出し窓があるお部屋です。

騎士の間・・・城内で最も豪華とされるお部屋です。ウラッハ公爵の肖像画が飾られており、楽団用の小部屋があり音楽が流れるそうです。

♔ 城壁の途中にある櫓(やぐら)には大砲が置かれています。中に入ることは出来ないそうですが、柵越しに覗き見ることは可能です。

♔ お城の外観や周辺の撮影はOKですが、城内部は禁止されているそうです。

 

まとめ・感想

断崖絶壁に建つ古城リヒテンシュタイン城は、ウラッハ公爵の中世への憧れが詰まったお城だけあって、実際に中世の頃から現存しているお城たちより中世感が資料写真からも見て取れます。

ウラッハ公爵には、同じドイツのノイシュヴァンシュタイン城を築いたルートヴィッヒ2世に通ずるものを感じました(^_^)

 

参考資料:世界一美しい夢の城図鑑/世界のお城研究会 編/宝島社 2014年

参考資料:世界で一番美しいお城 水野久美著/大和書房 2014年

他多数のWebサイトから参考にしております

 

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