フランスの古城【ブロワ城】

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ブロワ城


Julia CasadoによるPixabayからの画像
13世紀~17世紀にかけての建築様式が混在するブロワ城

歴代城主たちと取り巻く人々の数奇な運命を刻む古城です。

 

国名/所在地

フランス共和国 / ロワール渓谷、ロワール=エ=シェール県、ブロワの中心地

 

概要

フランス王たちが1番好んだとされるブロワ城は、17世紀までフランスの宮廷でした。城塞だったお城を居住に再建したルイ12世をはじめ、フランソワ1世により建設されたルネサンス様式の傑作とも言われる八角柱の螺旋階段。

その後も歴代の王たちがそれぞれ棟を増改築していき、ゴシック、ルネサンス、バロック(古典様式)と複数の建築様式が築かれます。

しかしその一方で血生臭い暗殺などが行われた古城としても知られています。

 

建築様式

ゴシック様式、フランボワイヤン様式、ルネサンス様式、バロック様式(古典様式)

 

建設の歴史

起源は封建時代に建てられた城塞でした。14世紀最後の城主となるブロワ伯がオルレアン公ルイにこの土地を売却し、以降オルレアン公の宮廷がブロワに置かれ息子シャルルの代にブロワ城は改築され妃と共に住居とします。

1498年~1503年、シャルル・ド・オルレアンの息子で後のルイ12世がブロワ城を再建します。現在見られる後期ゴシック様式の中に一部、その頃流行していたフランボワイヤン様式(✽1)が見られます。

またこの時イタリア遠征により、ルネサンス様式の建築技術者たちが多く流れて来始めます。ルイ12世もその流れに乗りルネサンス様式の庭園を造ります。(この庭園は1890年にヴィクトル・ユゴー通りの建設のため取り壊されます。)

その後10年後くらいにフランソワ1世が即位し、王妃でルイ12世の娘クロードのためにルネサンス様式の新しい翼棟を建設し、図書室を造らせます。しかし1524年に王妃が亡くなった事によりフォンテーヌブロー城へ蔵書が移されます。フランソワ1世はブロワ城にほとんど住まなくなります。

1574年~1589年、アンリ3世はフランス宗教戦争の最中パリを離れブロワ城に滞在している時に、三部会(✽2)で宿敵ギーズ公アンリを暗殺します。その後まもなく自身も暗殺された事によりヴァロワ朝が途絶えます。

♔ フランソワ1世棟でギーズ公アンリの暗殺が行われます。そもそも何故暗殺が行われたのか・・・カトリックとプロテスタントの宗教戦争において、王宮の上層部は旧教徒(カトリック)に属していましたが、ユグノー(新教徒プロテスタント)にも寛容の姿勢を示していました。

しかし、強硬派で事を焦ったギーズ公が旧教徒の代表として、新教徒の勢力を制圧しようとした事への反発が原因とされています。

その後アンリ3世の母カトリーヌ・ド・メディシスが関わったとされるユグノー虐殺ーサンバルテルミの虐殺が行われます。宮廷はその後ブロワからパリに移ります。

アンリ3世が亡くなりヴァロワ家と血縁関係もあるブルボン家の王子アンリが王位を継承し、アンリ4世としブルボン朝の初代王となります。しかし1610年、新教徒であったアンリ4世は狂信的なカトリックの男に暗殺されます。その後未亡人となった王妃マリー・ド・メディシスは息子ルイ13世との対立でブロワ城へ幽閉されます。(その後和解します。)

17世紀に入り、兄ルイ13世から結婚のお祝いとしてブロワ城を与えられたオルレアン公ガストンは、1635年、王のお抱えだった建築家フランソワ・マンサールによる新しい棟の建設を始めます。

1660年、オルレアン公が亡くなり建設は未完成のまま中止となり、フランス革命まで130年以上も放置となります。その後、取り壊しの難を逃れ軍の駐屯地として、また、改修されて博物館となります。

ブロワ城は、世界遺産【シュリー=シュル=ロワールとシャロンヌ間のロワール渓谷」に含まれています。

現在のお城はブロワの街の所有となっています。

 

ブロワ城の見所

ブロワ城は中庭を取り囲むように(ロの字型)各棟が建てられています。それぞれ違った建築様式が中庭から眺められるという素敵な(o^^o)♪作りになっています。


Julia CasadoによるPixabayからの画像

ルイ12世の棟・・・ブロワ城の主要の入口となっており、中央のアーチ型の上部にルイ12世の騎馬像が見られます。白い石組みと赤レンガのコントラストがこの棟の特徴とも言えます。また、後期ゴシック様式の中にフランボワイヤン式(フランス語ではGothique Flamboyant)と呼ばれる装飾が施されています。さらに、壁にルイ12世の紋章である【ヤマアラシ】の装飾も見る事が出来ます。現在は美術館となっています。

♔ ルイ12世棟には、フランスで最も古いとされるゴシック様式のホールが残されており、フランソワ1世の棟の一部と繋がっています。その部分は『三部会室』として使用されていたお部屋になります。

どの棟も資料写真ではそれぞれ美しく、実際に見たら圧倒されそうです。1番目を引いたのはこのルイ12世の棟で、特にフランボワイヤン様式の装飾は是非実物を見てみたいと思いました(^-^)


Julia CasadoによるPixabayからの画像

フランソワ1世の翼棟・・・ルネサンス様式で造られた棟です。最大の見所とも言われる八角形の螺旋階段と、その手摺りなどにはフランソワ1世の紋章【サラマンダー(ヒトカゲ)】が無数に施されています。

また、カトリーヌ・ド・メディシスの書斎には壁に秘密の戸棚が付いています。ここは当時のまま残されているそうです。


Julia CasadoによるPixabayからの画像

オルレアン公ガストンの棟・・・バロック建築の第一人者でもある建築家フランソワ・マンサールの設計による古典様式(バロック様式)の棟です。宮殿の様な階段室は、装飾された二重天井になっています。

 

まとめ・感想

13世紀~17世紀にかけてフランスの宮廷として存在したブロワ城は、その時代の流れと共に建築様式も移り変わっていきます。しかし、複合建築と言うよりは、一つ一つの棟の趣が確立されているので、他とは違う面白さがあります。

また、オルレアン公ガストンの棟にたずさわった建築家フランソワ・マンサールが、古典様式に拘り常に最高の様式美を追い求める姿勢には感服します。

 

✽1 14世紀~16世紀のフランスやイギリスの後期ゴシックで見られるトレーサリー(窓面を細分割する飾りの部分)様式のこと。S字型に組み合わせた火炎状のパターンからこう呼ばれます。Flamboyant(フランボワイヤン)=フランス語で”炎が燃え盛る”という意。

✽2 1302年、フランスのフィリップ4世が最初に、貴族、聖職者、都市部の商人の代表を招集した身分制議会のこと。

 

参考資料:世界一美しい夢の城図鑑/世界のお城研究会 編/宝島社 2014年

他多数のWebサイトから参考にしております

 

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