スウェーデンの古城【グリプスホルム城】

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グリプスホルム城


Fredrik HedによるPixabayからの画像
スウェーデン独立の指導者からスウェーデン王となったグスタフ1世が築いた褐色の古城です。

 

国名 / 所在地

スウェーデン王国 / スウェーデン南東部、メーラレン湖に面している町マリエフレードの近郊

 

概要

16世紀、デンマークの支配下にあったスウェーデンを独立へと導いた、初代スウェーデン王グスタフ1世グリプスホルム城は彼の公邸として建築されました。

スウェーデン王室所有となっていたお城は、18世紀初頭から約60年間、監獄として使用されていました。その後グスタフ3世が修繕をし、劇場も新たに造られます。

 

建築様式

ルネサンス様式、ネオクラシックス様式(新古典主義様式)

 

建設の歴史

グリプスホルム城の起源は1380年。ボー・ヨンソン・グリープの要塞が建てられており、その一族が代々所有していました。

1537年、スウェーデンがデンマークの支配から独立した際に指揮を取った青年グスタフ・ヴァーサが、スウェーデン王グスタフ1世となり、カトリックの修道会に寄贈されたこの要塞を没収し、公邸として建設されます。

1563年~1567年、グスタフ1世と第一王妃カタリーナの嫡男エリク14世は、バルト海地域とエストニアへの進出の意見で対立していた異母弟ヨハン3世とその家族を、お城へ幽閉します。

この間、後のスウェーデン王兼ポーランド・リトアニア共和国の王となるジギスムント3世が、このお城で誕生します。

1568年に即位したヨハン3世は、エリク14世を退位させ家族と共に2年間お城へ幽閉します。

1577年、エリク14世は暴力による治政から捕らえられ、のちに獄死します。

1713年以降60年間、グリプスホルム城は監獄として使用されていました。

1773年、グスタフ3世がお城の修繕に取り掛かります。そこでルネサンス様式の塔を劇場に改築します。

改築された劇場は建築家カール・フレドリック・アーデルクランツが設計します。しかし狭すぎると言う理由から、1781年に改築されました。この時の建築家エリック・パルムステットの設計した劇場はスウェーデンのネオクラシズム(新古典主義様式)の傑作と言われます。

1809年、ロシア戦でフィンランドを失った責任を問われグスタフ4世アドルフ王は、9ヶ月間このお城へ幽閉されます。退位を誓う文書に署名させられた後、その年の12月にスウェーデンを離れ、生前中に再び戻ることはありませんでした。

♔ グスタフ4世は13歳という若さで即位し、ロシアとフランスに最後まで抵抗したため悲運な最後を遂げます。その後、オスカル2世の示唆で遺体はスウェーデンに戻され、歴代王が眠るリッダルホルム教会に埋葬されます。

1889年~1894年、建築家フレデリク・リリエクヴィストによって大改修されたお城は物議呼びます。17世紀~18世紀の貴重な建築部分が失われた事で賛否がわかれたとされます。

現在、お城は国立絵画コレクションを所蔵、また16世紀の調度品が当時のまま保存されており見る事が出来ます。

 

訪れたら見ておきたい、ネオクラシック様式の劇場

グスタフ3世がルネサンス様式の塔を改築し造らせた劇場は、当時のまま保存されている数少ない劇場の一つとなっており、グリプスホルム城へ訪れた際は是非見ておきたいですね(^-^)♪

城内はスウェーデン王家の肖像画や16世紀の調度品などが展示されています。調度品は当時のまま保存されていると言う事で、大変貴重なものです。

建物の正面(ファサード)は中世の要塞が残っている唯一の部分だそうです。このお城はスウェーデンで3番目に大きいとされるメーラレン湖に面していて、対岸からお城を眺めてみるのも良いかもしれませんね(^_^)

 

まとめ・感想

スウェーデン国王の居城となっていたグリプスホルム城は、身内同士の対立から度々王族の幽閉城となっていました。

さらに18世紀初め~中頃までおよそ60年間、監獄として使われていたのには驚きますΣ(゚д゚lll) ただ・・・その当時の面影がほとんど見られないので、今のお城からは想像しづらいですが・・・(^_^;)

そんなお城が息を吹き返したのは、『ロココの文化王』と呼び名が高いグスタフ3世が修繕に乗り出したおかげです!この時代がグリプスホルム城の全盛期と言われています。

 

 

参考資料:世界一美しい夢の城図鑑/世界のお城研究会 編/宝島社 2014年

他多数のWebサイトから参考にしております

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