ベルモンテ城
Juan Ignacio Guzmán HervásによるPixabayからの画像
映画や舞台で有名なラ・マンチャの『美しい山』と呼ばれるベルモンテにある古城です。
国名 / 所在地
スペイン王国 / カスティーリャ・ラ・マンチャ州、クエンカ県、ベルモンテ
概要
15世紀にベルモンテのビリェーナ侯爵が築いたベルモンテ城。
19世紀にナポレオン3世の皇后ウジェニー・ド・モンティジョが居住していました。また、このお城で毎年8月~9月頃、【Liga nacional combate medieval (中世合戦 国内リーグ)】が行われています。9自治州のチームが2ヶ月半に渡る戦いを繰り広げます。
♔ この【中世合戦】は、今世界で注目を集めているスポーツで、日本でも2013年に【日本アーマード・バトル・リーグ(JABL)】が結成されています。2014年には、世界選手権がベルモンテ城で開催され、日本を含む19カ国から500人が参加しました。
建築様式
ゴシック様式、ムデハル様式
建設の歴史
14世紀に王族であるドン・ファン・マヌエルが、ベルモンテの地に居を構えたのが始まりです。
その後、内戦で荒れ果てていた時代に王位継承争いで鍵を握ったビリェーナ侯爵ファン・パチェコが、1456年にベルモンテ城を着工します。
1474年、ファン・パチェコが亡くなり、その後に市民戦争(1475年~1480年)が始まります。内戦の影響で工事は中断したまま、カトリック両王(✽1)が新城建設禁止令を出したため未完のままになってしまいます。
1478年、ディエゴ・ロペス・パチェコは反乱が再び怒らない様にするため、カトリック両王宛に親書を送ります。
1480年、ディエゴはカトリック両王から許され、侯爵の地位はそのままに領地だけを奪われました。またベルモンテ、アラルコン、ガルシムニョスの3つの村はそのまま残されました。
19世紀にフランス軍に侵攻されベルモンテ城は一時、牢獄として使用されていました。その後、ナポレオン3世の妻ウジェニーがお城を修復し居城とします。
現在は一部が博物館となっています。また、結婚式の場所としても使われています。
ベルモンテ城の見所
ベルモンテ城は、19世紀にナポレオン3世の皇后ウジェニーによって修復され、ほとんど当時のまま残されており、ゴシックとムデハル様式が混在しています。
◆外観
1階の廊下はいくつものネオ・ゴシック様式のアーチとなっています。2階は、一つのアーチに2組のアーチ型の窓が並び、さらに3階になると窓は小さく、一つのアーチに1つずつアーチ型の窓が並んでいて2つ飛びで窓と窓の幅の間隔が広くなっています。
◆城内
三角形の中庭側から見る建物は3階建てになっており、外観からの様相とはだいぶ印象が異なります。
1階・・・博物館、牢獄、売店など。
2階・・・礼拝堂、使用人や召し使いの部屋など。
3階・・・侯爵と侯爵夫人の寝室など。
まとめ・感想
ベルモンテ城は、歴史的において特に目立つような事があったお城ではありませんが、小高い丘の上に佇む姿は写真からでもとても魅力のある古城ですので、今回取り上げてみました。
コカ城やセゴビア城でも見られるムデハル様式の装飾は美しく、1度は見てみたいお城の1つとなりました。
また、ベルモンテ城があるこの地ラ・マンチャは、セルバンテスの小説『ドン・キホーテ』(✽2)の舞台にもなっています。
✽1 アラゴン王フェルナンド2世とカスティーリャ女王イサベル1世の事。
✽2 ミゲル・デ・セルバンテス・サアベドラの書いた小説。『ドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャ』(1605に前編、1615年に後編を出版)。
あらすじ:騎士道物語を読みすぎて現実と空想の世界の区別がつかなくなった男が世直しの旅に出かける。日本ではミュージカル『ラ・マンチャの男』でも知られていますが、こちらはセルバンテス自信を主人公に、牢獄内で囚人たちを相手に『ドン・キホーテ』を演じる内容となっています。
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