オーストリアの古城【ホーエンザルツブルク城】

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ホーエンザルツブルク城


Jiří NovotnýによるPixabayからの画像

19世紀初頭までローマ教皇領だったオーストリアの都市ザルツブルク。

そこへ防御のため大司教が築いた要塞、ホーエンザルツブルク城

岩塩貿易で富を得て徐々に拡張していきました。

 

国名 / 所在地

オーストリア共和国 / 北西部の古都、ザルツブルク

 

概要

オーストリアの都市ザルツブルクを一望出来る岩山に建つ、ホーエンザルツブルク城かつて神聖ローマ皇帝ハインリヒ4世聖職叙任権(✽)の問題で争った教皇グレゴリウス7世が、王位を剥奪したことによる報復を恐れ建造した教会や要塞の一つです。

中央ヨーロッパにおいて最大級の大きさを誇るお城は、一度も攻撃を受けずに来たため保存状態も良いとされています。

 

建築様式

ロマネスク様式ゴシック様式

 

建設の歴史

1077年、教皇グレゴリウス7世(本名・ヒルデブラント)が隠れ家として創建します。初期の建物は居館としてロマネスク様式で築かれ、今もその姿を残しています。

破門されたローマ皇帝ハインリヒ4世は、直接教皇から許しを得るため教皇が滞在するカノッサへ行き、雪の中を三日間、素足で立ち尽くすしたことによって、ようやく破門を解いてもらうという出来事がありました。これが有名な『カノッサの屈辱』です。

教皇はこれに対し、ハインリヒ4世の報復を恐れ要塞を築く必要があったのでした。恐れは現実のものとなり、教皇はローマに幽閉、1度は脱出に成功しますが、配流先のサレルノで死去します。

ホーエンザルツブルク城はその後も代々、大司教が引き継ぎ増改築が行われていきました。

13世紀以降、ハプスブルク家やバイエルンの脅威にさらされ、城塞の強化が進められていきます。

15世紀後半、鐘楼、薬草塔、鍛冶の塔、囚人の塔の4つの塔が建てられます。さらに防壁や最初の武器庫、また穀物の貯蔵庫などが建てられます。

1500年~1502年、レオンハルト・フォン・コイチャッハにより聖ジョージ礼拝堂が建てられます。

15世紀~16世紀にかけてお城の東側にある18mに及ぶ長さのケーブル鉄道が作られます。これはヨーロッパで最も古いとされる運搬用のケーブルカーです。(※後にノンベルク修道院と繋ぐケーブルカーとして拡張されます。)

時を同じくして、ゴシック様式のロイヤルアパートメントを建設します。【黄金の間】、【黄金の部屋】、【睡眠室】の3つの部屋で構成され、室内は豪華絢爛で煌びやかな装飾などが施されています。

また、城内の中心である居住部分を4階建ての【Hoher Stock(ホーアーストック)】へと大改築します。こちらは現在、博物館になっており2階に要塞博物館、3階にライナー連隊博物館と客室があります。

♔大司教レオンハルト・フォン・コイチャッハ(在位1495年~1519年)は、岩塩貿易で莫大な富を得て、その富と権力を誇示するために【黄金の間】は建設されたと言われています。また、この時期からロマネスク様式から後期ゴシック様式へと改築が行われました。

♔レオンハルトはオーストリア南部の小貴族の出で、農場を営む父親に『僧侶になりたい!』と言うと【カブ】を投げられたという逸話があります。そのためレオンハルトの紋章は【白いカブ】であり、城内の至るところに【白いカブ】の紋章を見ることが出来ます。 この【紋章】になるモチーフは本当に様々で、なかなか興味深く面白いですね(o^^o)♪

1525年~1539年、飲料水の確保のため、地下の貯水槽が設されます。(17mx17mx7.2m、34万ℓの規模)

1559年には、攻撃に備え武器などを保管しておく兵器庫が建てられます。

17世紀には、バロック様式が主流になりお城も近代化されより堅牢な城塞へと改築されていきます。

1612年~1617年、大司教ヴォルフ・フォン・ディートリッヒは、バイエルン公国と製塩権と関税などの争いに敗れ、ホーエンザルツブルク城の【Reckturm(レックトゥルム)/レック塔】にある地下牢に5年間幽閉されたまま亡くなります。

♔ 大司教ヴォルフ・フォン・ディートリッヒは、ザルツブルク市内にレジデンス(大司教の宮殿)やミラベル宮殿など歴史的建造物を築きます。そのためか、ヴォルフの在位中はホーエンザルツブルク城の改築はほとんどされなかったようです。

1681年、オスマントルコの脅威に備え、大司教マックス・ガンドルフ・フォン・キューエンブルクは、お城の北側にもともとあった崩れた稜堡の跡地に【キューエンブルク稜堡】を築きます。一部に11世紀~12世紀のロマネスク様式時代の遺構が見られます。

今まで一度も占拠されたことのない要塞でしたが、ナポレオンが率いるフランス軍により侵攻され、戦わずして1803年に最後の大司教コロレードはその地位を奪われます。

1816年からは、神聖ローマ帝国領となりハプスブルク家支配の下、兵舎及び監獄として使用されます。

1861年、ウィーンやミュンヘンといった都市に鉄道が開通し、ザルツブルクでも観光の時代がやってきます。ホーエンザルツブルク城は、一般公開が許されるようになりました。

1891年、ザルツブルク・ケーブルカーがお城の西側に開設します。当時は、運河からお城の貯水池まで水が汲み上げられていました。1960年~電力へと変換しました。

♔ こちらのケーブルカー鉄道はオーストリア最古のものと言われています。麓からお城まで約1分、10分毎に出ているので短縮したい方はおすすめですね。

1996年に、ユネスコの世界遺産『ザルツブルク市街の歴史地区』の一部として登録されます。

 

ホーエンザルツブルク城の見所

チケットはベーシック・チケット、スタンダード・チケット、または早朝割スタンダード・チケット(期間限定で朝10時迄にチケットを購入すると割引がある)があります。

ベーシック・チケットでは、Aコース:オーディオガイドツアー(日本語オーディオガイド有り・)とBコース:博物館を周ります。スタンダード・チケットでは、A+Bに加えてCコース:黄金の間が見学出来ます。

Aコース:オーディオガイドツアー で城内を満喫!

◆塩の貯蔵庫・・・当時、ザルツブルクの街が栄えた重要な塩をここに保管していました。現在、要塞の建設に貢献した歴代の大司教17名の肖像画と、お城の模型が展示されています。模型は増築されていく過程が再現されています。

♔ お城の模型に、とっても興味があります(^^) 是非とも1度見ていたい!

◆Reckturm(レックトゥルム/レック塔)の拷問室・・・中世の拷問器具が展示されています。しかし一度も使われなかったそうです。6mの深さにある地下牢には囚人や大司教が囚われていました。因みに拷問室が作られたのは19世紀になります。

螺旋階段を上っていくと、ザルツブルクの街を360度見渡すことが出来る展望台へと続いています。

◆ザルツブルクの牡牛・・・1502年に制作された大きなパイプオルガンです。モーツァルトなどが演奏していたそうです。

Bコース・3つの博物館でザルツブルクの歴史に触れよう!

【The Castle Museum / 要塞博物館】・・・お城の生活がうかがえます。中世の暖房システム、ローマの硬貨、陶磁器などが展示されています。

【The Rainer Regiment Museum / ライナー連隊博物館】・・・第一世界大戦のロシアとの戦いで活躍した、ライナー大公連隊第59歩兵連隊に関するものが展示されています。8つのホールで構成され、歴史1682年~1918年までが年代順に描かれています。

◆【The Puppet Museum / ザルツブルク人形博物館】・・・世界的に有名なザルツブルクの人形劇からの展示です。体験館では3Dアニメなどが見られます。

♔ この3つの博物館の中で個人的に一番興味を惹かれるのは、ザルツブルク人形博物館です(^。^) バロック様式の世界屈指のマリオネット劇場として有名で、その高い芸術性と評判な人形劇で実際に使用された人形が展示されているそうです。

Cコース・黄金の間

大司教の居住スペースです。床や壁には装飾品がふんだんに施されています。また、細い細工にタイル製の豪華なストーブは寒いヨーロッパでは欠かせないアイテムです。

ここでは、毎晩のようにコンサートが開かれており、チケットの入手が困難とされるほど人気なんだそうです。

中世へとタイムスリップ!マジックシアターと聖ゲオルクに捧ぐ教会

◆Prince’s Chambers & Magic Theater / プリンス・チェンバース&マジックシアター・・・神秘的な王子の部屋、中世の世界へタイムスリップ!

ゲオルク教会・・・15世紀に建設された後期ゴシック様式の教会。軍人の守護聖人である、聖ゲオルクに捧げるために建てられました。外壁には教会を建てた大司教レオンハルト・フォン・コイチャッハのレリーフが飾られています。

 

まとめ・感想

大司教と神聖ローマ帝国皇帝との争いが元で建てられたホーエンザルツブルク城ですが、岩塩貿易で得た富と権力で次々と増築させていき、今日では『ザルツブルクのシンボル』として世界各国から観光客が集まり高い人気を誇っています。

このお城の見所は、360度見渡せる展望とお城の歴史が判る博物館になると思いますが、歴史に興味がある方や子供は結構楽しめるかもしれませんね。

 

✽ ローマ=カトリック教会の高位聖職者(大司教、司教、修道院長など)を任免する権利。神聖ローマ皇帝が握っていた聖職叙任権をカトリックの改革派であったローマ教皇レオ9世やグレゴリウス7世が権利を奪回するべく闘争が始まり、皇帝側がドイツ以外での聖職叙任権を放棄する形で決着がつきます。(ヴォルムス協約)(※聖職叙任権闘争は1075年~1122年まで続きました。)(出典:Wikipediaより)

 

参考資料:ホーエンザルツブルク城公式URL=https://www.salzburg-burgen.at/en/hohensalzburg-castle/

参考資料:世界一美しい夢の城図鑑/世界のお城研究会 編/宝島社 2014年

参考資料:世界で一番美しいお城 水野久美著/大和書房 2014年

他多数のWebサイトから参考にしております

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