フランスの城塞都市【カルカソンヌ】

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城塞都市カルカソンヌ


Carcassonne (source URL:Pixabay)

2つの『世界遺産』をもつ、中世の【城塞都市(シテ)カルカソンヌ】の栄光と破壊と再生の歴史

 

国名/所在地

フランス共和国 / 南部オクシタニー地域圏、オード県、カルカソンヌ郡

 

概要

軍事の重要な要塞として築かれた【カルカソンヌ】は、2重の城壁に囲まれる、ヨーロッパ最大にして最古の城塞都市(シテ)です。

内壁の基盤はローマ時代、その後、外壁を強化させていき、『シテ』と呼ばれる城塞都市を造ります。

百年戦争で無敵と言われたイングランドを撤退させた、強固な二重の城壁に守られたシテには、今も約1000人が暮らしています。

カルカソンヌでは、1996年、ミディ運河、1997年にシテ『歴史的城塞都市カルカソンヌ』として、『世界遺産(世界文化遺産)』に登録されています。

♔世界遺産に登録されているのは、この『シテ』と呼ばれる部分(城壁から囲まれた部分)を指します。かつては、『シテ』は独立したひとつの都市でしたが、現在は全てカルカソンヌ市となっています。

 

建築様式

ロマネスク様式ゴシック様式

 

建設の歴史

紀元前5世紀の前半まで、ローマ人がプロヴァンス地方とラングドック地方を征服し、『カルカソ』と呼ばれる城塞都市を築いて、この地域一帯を支配していました。

460年~725年、ゲルマン系、西ゴート族が、イベリア半島、ラングドック地方を支配し、城下町を発達させていきます。

その後、イスラム教徒のサラセン人がカルカソンヌを占領します。

759年、フランク王ピピン3世(小ピピン)によって奪還します。

768年、ピピン3世の息子、カール大帝(フランス語ではシャルルマーニュ)が王位につき、西ヨーロッパを統一します。

1082年~1209年、帝国は分割され封建制になり、カルカソンヌ子爵トランカヴェル家が権力を握り、カルカソンヌは大いに栄えます。

1096年、サン・ナゼール大聖堂の礎石(そせき)が置かれます。

1130年、ローマ時代の城壁が修復されます。

栄えていたこの時代ですが、良いことばかりは続きません、、、、、、。

カトリックからは異端となるカタリ派の急速な広まりに対し、教皇インノケンティウス3世は、シモン・ド・モンフォール率いる『アルビジョア十字軍』を編成ます。

異端に対し擁護派だった為、カルカソンヌは攻防戦の末に陥落します。最終的に、フランス王の介入によっトゥールーズ伯とパリ和約がむすばれ戦いは終結します。

1224年、フランス国王領となります。

カルカソンヌは、ルイ9世、フィリップ3世、フィリップ4世の時代に2重城壁の形になります。

この時、シテの外にバスティッド・サン・ルイ(城下町)が造られますが、1355年に英仏戦争(100年戦争)で損傷、すぐに再建されました。その後、バスティッドは商業的(ワインの交易など)に発展します。

一方、1659年、スペインとのピレネー条約により、シテは軍事的重要度が薄れ、やがて失われていきます。

18世紀、商業的に発展していったバスティッド・サン・ルイに対し、貧困化していくシテ。

しかし、救世主が現れます!

町の碩学(せきがく)ジャン・ピエール・クロ・メルヴィエイユ、作家のメリメ、建築家ヴィオレ・ル・デュックたちです。

♔コンタル城前の広場には、ジャン・ピエール氏の銅像があります。

19世紀、すっかり荒廃していた城塞を救う保護運動を起こしてくれます。

1853年、保護運動が実を結び、フランス政府が動き出して修復作業が開始されました。

 

カルカソンヌの見所

カルカソンヌの城塞都市(シテ)には、現在も人が住んで生活をしています。いつでも自由に外への行き来が出来る門は、ナルボンヌ門オード門の2ヶ所です。観光もこの2つの門から出入りします。

 


ChbecによるPixabayからの画像

ナルボンヌ門(東門)・・・1280年に建造され、最大の特徴は2つの巨大な塔から成っている門です。これは、当時では外観的にはもちろん、技術的にも新しい建築物だったとされます。

19世紀にヴィオレ・ル・デュック(救世主の一人ですねv)によって、ストレート屋根狭間(さま)が再建され、さらに跳ね橋を増設します。

ナルボンヌという名前は、門の方角にある町の名から来ているそうです。

 


Porte d’Aude(source URL:Pixabay)

オード門(西門)・・・オード川の向かいにあり、コンタル城に隣接しています。中世の姿を残したオード門は、狭く急坂になっています。

このオード門は、ポン・ヴィユー(旧橋)へと続いています。

♔ポン・ヴュー(旧橋)は、19世紀まで【シテ】と新市街をつなぐ唯一の橋だったそうです。(※冒頭の写真、手前に見える橋がそうです)

鉄のアーチと橋の真ん中にあるランプが均等に並んでいます。ここは、歩行者のみ通行可能。後に自動車も通れる新しい橋がこの近くに出来ています。

 

シテにはひとつのお城と、ひとつの大聖堂があります。城塞内でも最大の見所となるのではないでしょうか。


Daniel NettesheimによるPixabayからの画像

コンタル城・・・12世紀に創建。歴代の伯爵の居城となっていました。19世紀に修復工事がされています。

ここは、城壁へ上ることができるため、南仏の田園風景が見渡せます。

また、中世のお城の特徴とも言える円形の張り出し櫓(やぐら(Bartizan))を含む五つの塔が見られます。

♔シテの中で唯一、有料です。公認ガイドツアー(フランス語、英語対応)や、オーディオガイド(各言語有り、但し日本語はありません(>_<))があります。

 

hjrivasによるPixabayからの画像

サンナゼール・バジリカ・・・11世紀~14世紀のロマネスクとゴシック様式が混在する大聖堂

12世紀~14世紀の、フランスで最も美しいとされるステンドグランスが有名です。

1898年に教皇レオン3世から『バジリカ』の称号を与えられます。

 

バステッド・サン・ルイ・・・城外にある下町。

1260年、ルイ9世の時代に中央広場(現カルノ広場)を中心とした、碁盤の目状に造られた新しい町です。

18世紀の教会、邸宅などの建築物や、美しい彫刻などが立ち並んでいます。

また、城壁が完成した後に造られた堡塁も見所の一つです。

かつて東西南北4ヶ所に門が設けられていましたが、そのうちのジャコバン門(南門)のみ現在も残っています。

 


10mavmによるPixabayからの画像

ミディ運河・・・『世界遺産』にもなっている、全長240mにわたるカルカソンヌの運河。

ルイ14世治政の下、大西洋から地中海沿岸を結ぶ貨物の輸送航路として、フランス工学者ピエール=ポール・リケの発案により、17世紀に完成。

現在は主に観光、レジャーで利用されているそうです。

 

シテの空を赤く染める花火

フランスの記念日と言えば、7月14日の『革命記念日』が有名です。フランスの各地でさまざまなイベントが催されますが、最も盛大なのがパリだと言います。日本では『パリ際』とも呼ばれています。

ここシテでは、毎年7月14日のこの日は盛大な花火が打ち上がります。

はじまりは、1898年8月14日、文学家、芸術家、政治家から成る一団がカルカソンヌに集合。市はこれを祝して祝賀パーティーを開き、その最後の夜に【シテ】全体が燃え上がるように見える花火を打ち上げます。

これを機に毎年、革命記念日の7月14日22時30分から行われるようになります。

 

くまモン、カルカソンヌで『カスレ騎士団』の一員に!

2018年の夏、熊本県の営業部長『くまモン』がフランス出張でカルカソンヌを訪問しています。

シュヴァリエ(騎士)の称号受けたり、カルカソンヌの伝統料理を世界に広める『カスレ騎士団』の一員に任命されたりしています。

『カスレ』とは、白インゲン豆とカモ、または豚肉などを『カソル(カソール)』(←名前の由来にもなっている)と呼ばれる土鍋で煮込みオーブンで焼き上げたもの。

(出典:カルカソンヌ観光局公式URL=http://ja.tourisme-carcassonne.fr/)

 

カルカス婦人の伝説と、町の名前の由来

ナルボンヌ門の脇に置かれている女性の石造が、カルカス婦人です。

カルカソンヌには、町の名前の由来ともなった、カルカス婦人の伝説があります。

時は、サラセン人占領時。カール大帝がカルカソンヌへ侵攻し周りを取り囲みます。この時亡き夫、サラセン人の王バラクに代わり、女領主となった妃カルカスが対応していました。

しかし、5年に及ぶ戦いに物資が底をつき、飢饉におちいり兵士たちは次々と絶滅してしまいます。

それでもカルカス婦人はあきらめません。兵士に見立てた藁人形を使ってその間から矢で応戦し、敵の目をくらましていました。

とうとう残るは豚一匹と麦一袋のみになってしまいました。そこで、カルカス婦人は大胆な行動に出ます。

豚に麦をいっぱい食べさせて、城壁の上から投げ捨てました。

豚の腹から大量の麦がでてきたのを見た敵は、与えるほど食料があると思い、まんまと騙されたカール大帝は戦意を失い、包囲を解かせ引き上げて行きました。

カルカス婦人は、町の鐘を鳴らして勝利の喜びを表しましす。

ここから、『カルカスが鐘を鳴らす』(Carcas sonne)となり、『Carcassonne』と町の名前が付けられたとされます。

その後、和平交渉をし、カール大帝は婦人の忠誠を受けるのでした。

♔これがただの伝説なのか、それとも史実を大きく膨らませたのか分かりませんが、、、町の名前になるほどの人物だったことは、間違いないのでしょう(^^)

 

※ガイドツアー情報

◆シテのガイドツアー・・・英語、フランス語、スペイン語。(毎日/所要時間:1時間15分)

◆バステッド・サン・ルイ・・・フランス語、スペイン語。(毎週土曜日のみ/所要時間:1時間45分)《オーディオガイド・・・フランス語、英語、スペイン語》

いずれも要予約です。

◆こんなのも・・・馬車ツアーでのガイド。城壁の間を約20分かけて一周。時間のない方は気分だけも味わえるかも。

 

まとめ・感想

約3Kmにも及ぶ城壁の威圧感は、実際に目の当たりにしたら、、、と思うと、ワクワクします(o^^o)♪

シテは、ちょっとゲームのダンジョン感もあり、そこから見える南仏の田園風景など、いろいろな顔が見られるというのが魅力的です。

今回、カルカソンヌの城塞都市(シテ)を調べていてよく目にした事が2つありました。

  1. 「カルカソンヌを見ずして死ぬな」
  2. 「フランス国内で【モン・サン・ミシェル】に次ぐ人気の観光地」

つまり、フランスではそれだけ人気も認知度も高い!と、言うことなのでしょう。

が!上記の事に次いでよく目にしたのが、、、「日本の知名度が低い」ことでした。

ちなみにネットで【カルカソンヌ】と検索にかけると、ドイツ発祥のボードゲーム【カルカソンヌ】がいっぱい引っかかります( ̄∀ ̄)v

とはいえ、少しずつ認知度が上がってきているそうなので、微力ながらこのサイトでも取り上げてみました。

 

 

参考資料:カルカソンヌ観光局公式URL=http://ja.tourisme-carcassonne.fr/

参考資料:世界一美しい夢の城図鑑/世界のお城研究会 編/宝島社 2014年

参考資料:世界で一番美しいお城 水野久美著/大和書房 2014年

参考資料:ヨーロッパの古城物語 ジャン・メスキ著(堀越孝一監修)/株式会社創元社 2007,2010年

他、多数のWebサイトから参考にしております

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