リュクサンブール宮殿
イタリアからフランス王室に嫁いできた王妃マリー・ド・メディシスが建てた、シンメトリーのルネサンス建築が美しい【リュクサンブール宮殿】
国名 / 所在地
フランス共和国 / パリ、ヴォージラール通り
概要
17世紀、アンリ4世の后でルイ13世の母である、マリー・ド・メディシスが建てた【リュクサンブール宮殿】。
王妃マリーが、故郷のフィレンツェにある【ピッティ宮殿】をモデルとしています。
宮殿は、その広さ約23ヘクタール(60エーカー)にも及ぶ広大なリュクサンブール公園内に建っています。
フランス革命後は、総裁政府の官邸、後にフランスの元老院(げんろういん)の議事堂として使用されています。
建築様式
ルネサンス様式
建築の歴史
リュクサンブール宮殿は、元々公爵邸だったところを、マリー・ド・メディシスの命により、1614年~1630年にかけて、フランスの建築家サロモン・ド・ブロスが設計し改築されました。
マリーは、この居城を自分の故郷フィレンツェにある、ルネサンス様式のピッティ宮殿をモチーフに建てさせたといいます。
リュクサンブール宮殿は、フランスの伝統的な建築様式とルネサンス様式がうまく融合した宮殿と言われています。
♔王妃マリー・ド・メディシスは、ヴァロワ朝3人の王の生母である、カトリーヌ・ド・メディシスの遠縁にあたります。
1600年に、ブルボン朝初代王アンリ4世に嫁いだマリー・ド・メディシスは、なれない王室生活に加え、フランス語も喋られず寂しさを紛らすように、日々浪費を繰り返していたそうです。
1610年、アンリ4世が狂信者に暗殺され、マリー王妃は幼くして王位を継いだ息子ルイ13世の摂政となります。
1615年、ルイ13世との確執から、マリーの側近が暗殺されます。一度は和解したものの、国政に影響を及ぼすリシュリュー枢機卿を、王から遠ざけようとします。
しかし、それに気づいた枢機卿によって、逆に追い込まれ国外へ亡命を余儀なくされ、生涯を終えるのでした。
マリー王妃が追放された後に宮殿に住んでいたのが、マリーの孫アンヌ・マリー・ルイーズ・ドルレアン(モンパンシェ女公爵または、グランド・マドモアゼル)です。
♔このモンパンシェ女公爵は、父はルイ13世の弟ガストン・ドルレアン、母はマリー・ド・ブルボン・モンパンシェ公爵夫人でブルボン家と繋がる名門貴族。その母は産後すぐ亡くなってしまったため、母から公位を継ぎ、莫大な財産を持って生まれてきたのです。
宮殿は、フランス革命(1789年~1799年)の際、牢屋として使用されています。
♔なぜ宮殿を牢屋として使用するのかいつも謎、、、(-_-;)
フランス革命後、総統政府官邸としてナポレオン・ボナパルトが権力を掌握し歴史的な舞台となっています。
現在は、元老院(げんろういん)の議事堂となっています。
※フランスにおける元老院(げんろういん)についてウィキでは、
フランスの上院に相当する議会
出典:Wikipediaより
とあります。
フランスの議会は、下院(国民議会)と元老院(上院)の2つで構成されているそうです。
リュクサンブール宮殿と公園
リュクサンブール宮殿は、リュクサンブール公園(庭園)の敷地内にあります。
この公園の規模は、約23ヘクタール(60エーカー)となっています。一部を除き、そのほとんどが一般に開放されており、園内には王族や芸術家の彫像、記念碑、池や花壇、噴水はもちろん、子供の遊び場、運動場などもあります。
元々は宮殿内の庭園だったところが拡大され、今では、宮殿じたいが広大な公園の一部となっています。
最初の始まりは1612年に、マリー・ド・メディシスの命で、宮廷庭師ジャック・ボアソーによって造園されます。この時は、宮殿内の庭園規模でした。
1625年に完成。その後増設が行われ、現在の形になりパリ市民の憩いの場として、また、観光名所として毎年国内外から観光客が訪れているようです。
リュクサンブール公園内で芸術に触れてみる
メディシスの泉・・・1630年に建てられたイタリア風の泉で、ギリシャ神話をモチーフとした彫刻、泉の正面には、メディシスの紋章が象られています。
美術館・・・宮殿の東側にあるリュクサンブール美術館。創設当初は、レオナルド・ダ・ヴィンチやルーベンス、ラファエロ、レンブランドなど、王室コレクションが展示されていました。
これらの作品は後に、ルーブル美術館へ移されます。
1818年以降、ドラクロワ、アングル、など近代美術の絵画が展示されるようになります。
1937年に、国立近代美術館が出来ると、リュクサンブール美術館は閉館します。
しかし、1979年に再公開され、以後は元老院の管理下となります。(※現在の建物は、1884年~1886年に再建されたものです。)
その後、セザンヌ、モネ、ルノワールといった印象派の絵画も取り扱っていましたが、今はオルセー美術館へ移されています。
2010年、国立美術協会へ運営が委託され、現在は常設展示はなく、企画展示のみ行われています。
♔1621年のリュクサンブール宮殿改装時に、宗教画で高い評価得ていたフランドルの画家ピーテル・パウル・ルーベンスが、マリー王妃の依頼で描いた24枚の連作絵画あります。
それが、『マリー・ド・メディシスの生涯』
そのタイトルの通り、マリー王妃の生涯が描かれています。中には、ギリシャ神話を織り交ぜて描かれたものも数点あり、これらはリュクサンブール宮殿の待合室に掛けられていました。
現在は、ルーブル美術館のリシュリュー翼の『メディシスの間』に展示されています。
チャンスは、毎年9月に訪れる!『ヨーロッパ文化遺産の日』
リュクサンブール宮殿内は、今は議事堂のため普段は一般公開されていません。
でも大丈夫です!チャンスは毎年訪れます!
それは、1984年から始まった、毎年9月の第3週の土日に開催されるイベント『ヨーロッパ文化遺産の日』です。
現在50ヵ国が加盟する各国で、普段入ることが出来ない歴史的建造物や施設などが一般公開されるイベントです。
なので、宮殿内を見たいと思ったらこの日を狙ってみましょうo(^▽^)o
まとめ・感想
マリー・ド・メディシス王妃の夢の王宮、リュクサンブール宮殿には、図書館もあるそうです。
この図書館の天井には、ドラクロワの絵が描かれていますが、普段は見る事ができません(^_^;)
しかし、『ヨーロッパ文化遺産の日』に、こちらも開放されるようです。
でも、これだけ広大な公園であれば、たとえ宮殿内が見れなくても、十分有意義な時間を過ごせるような気がしますね(o^^o)♪
参考資料:リュクサンブール・ガーデン URL=http://www.senat.fr/visite/jardin/histoire.html
参考資料:リュクサンブール公式サイトURL=https://www.en.museeduluxembourg.fr/
参考資料:世界一美しい夢の城図鑑/世界のお城研究会 編著 /宝島社 2014年
参考資料:ヨーロッパの「古城・宮殿」がよくわかる本/桐生操 監修・株式会社レッカ社編著/㈱PHP研究所 2010年
他、多数のWebサイトから参考にしております
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