フィレンツェの【ピッティ宮殿】

Pocket




ピッティ宮殿


Clarissa VanniniによるPixabayからの画像

フィレンツェの名家メディチ家を中心に収集された絵画や宝飾コレクションを所有する【ピッティ宮殿】

 

国名 / 所在地

イタリア共和国、トスカーナ州、フィレンツェ

 

建築様式

ルネサンス様式

 

歴史

1457年、フィレンツェの銀行家ルカ・ピッティによって【ピッティ宮殿】の最初の建設が始まります。

設計を手がけたのは、彫刻家でもあるイタリア建築家フィリッポ・ブルネレスキです。しかし、ピッティは宮殿の完成を待たずして1472年に死去します。

その後100年が経った16世紀に、初代トスカーナ大公となるメディチ家の当主コジモ1世が、この宮殿を買取り完成させます。

コジモ1世は家族とともに生活拠点をピッティ宮殿へ移し、それに伴い多くの美術品がこの宮殿に集まります。

そこから3代に渡って増改築が行われます。

1737年に、メディチ家最後のトスカーナ大公ジャン・ガストーネに子供がいないまま死去し、その後、姉のアンナ・マリーア・ルイーザ・デ・メディチの死去により、メディチ家の主流が途絶えます。

その後を継いだのが、ハプスブルク=ロートリンゲン家のフランチェスコ2世(神聖ローマ帝国皇帝フランツ1世)です。

♔アンナ・マリーアは遺言により『メディチ家のコレクションをフィレンツェから持ち出さない』ことを条件に、トスカーナの政府へ美術品全て寄贈したため、その後にメディチ家のコレクションは散逸を逃れたとされます。(出典:Wikipediaより

宮殿の増改築と美術品の収集は19世紀末まで続きます。

18世紀末、フランス軍を率いたナポレオン・ボナパルトによってトスカーナは侵攻されます。この時にコレクションの一部は持ち出され、後に返還されるも全てではないそうです。

19世紀初頭には、再びロートリンゲン家が当主となりますが、サルディーニャ王国との合併に伴い、サヴォイア家が新当主となります。

1860年、宮殿はイタリア王国成立のため、サヴォイア家の王宮となります。

ピッティ宮殿はメディチ家が建設を再開してからも、約400年に渡り増改築を行い、19世紀末にようやく現在の姿となります。

1919年、国家に寄贈されます。

1982年、ユネスコの世界遺産(文化遺産)『フィレンツェ歴史地区』に含まれています。

 

ピッティ宮殿の見所

フィレンツェのボーボリの丘にあるピッティ宮殿は、居室、パラティーナ美術館、近代美術館、大公の宝物館(旧銀器博物館)、ファッション・衣装博物館、馬車博物館、宮殿外に陶磁器博物館で構成され、それに加え自然と芸術に触れられるボーボリ庭園が広がっています。

外観がシンプルな分、室内装飾は豪華で、多くの調度品や壁から天井まで絵画で埋め尽くされています。

 

歴代の王たちが遺したルネサンスの美術コレクション

15世紀半ばに、メディチ家は大銀行家やローマ教皇庁の金庫番としてヨーロッパ一の大富豪になり、その全盛期には、ルネサンス芸術も最盛期を迎えていました。

有名なのがロレンツォ・デ・メディチです。彼は、あのレオナルド・ダ・ヴィンチボッティチェリを支援していました。また、まだ少年だったミケランジェロの才能を伸ばすべく学ばせたのでした。

彼の亡き後、一時はフィレンツェからローマへと文化運動の中心が移って行きます。メディチ家も衰退しますが、16世紀にはコジモ1世がトスカーナ大公となり、ピッティ宮殿は再び華やかになっていきます。

その後は、メディチ家からロートリンゲン家、サヴォイア家へと引き継がれ、宮殿内にはあらゆる美術コレクションが展示され公開されています。

居室・・・宮殿の2階部分。主君とその親族が住んでいました。【緑の間】、【青の間】など、色の名前が付いた部屋が多数あり、大公妃の間は【黄金の間】

どの部屋にも絵画や装飾が施されています。

パラティーナ美術館(ピッティ美術館)・・・宮殿の2階展示室。メディチ家とロレーヌ家のコレクションが展示されています。

コジモ2世によって収集が始まり、ラファエロ、ルーベンス、ボッティチェリなど、絵画を中心とした作品が1833年から公開されています。

20室ほどもある部屋にはそれぞれ名前が付いていて、ラファエロの『小椅子の聖母』【サトゥルヌスの間】に展示されています。(個人的にラファエロの作品の中で一番好き(^^♪)

近代美術館・・・宮殿の3階展示室。ピッティ宮殿内のもう一つの美術館です。ロートリンゲン家のコレクションが中心で、マッキア派(19世紀トスカーナで派生した絵画。macchia(色斑)から来ている(出典:Wikipediaより))の絵画が展示されています。

ファッション・衣装博物館・・・宮殿の3階北側。コジモ1世と公妃エレオノーラが着用していた衣装や、18世紀から現在の衣装が展示されています。布は長期の展示が出来ないことから、ローテーションされるそうです。

大公の宝物館(旧銀器博物館)・・・宮殿の1階。メディチ家の宝物、貴石や琥珀などが展示されています。また、17世紀から20世紀の宝石コレクションも見られます。

馬車博物館・・・宮殿の1階。ロートリンゲン家とサヴォイア家が所有していた馬車が展示されています。

陶磁器博物館・・・ボーボリ庭園を挟んで宮殿の裏側の高台にある『騎士の狩猟小屋』の建物内。

コジモ3世により建造され、その後増築されます。

ウフィッツィ美術館・・・コジモ1世の命でジョルジョ・ヴァザーリによって着工され、後にフランチェスコ1世へ引き継がれます。

この美術館は、ピッティ宮殿とヴァッキオ橋の2階部分を通じ、ヴァザーリの回廊で繋がっています。(この回廊にも多数の絵画が展示されています。でも美術館本館とは別料金、、、(^_^;))

ルネサンス絵画(ダ・ヴィンチの【受胎告知】やボッティチェリの【ヴィーナス誕生】など)をはじめ、多数の美術品を所蔵するイタリア国内最大の美術館であり、近代式の美術館ではヨーロッパで最古のものの1つとされます。

ピッティ宮殿と同じく『世界遺産』に登録されています。

 

『世界遺産』自然と芸術を見る【ボーボリ庭園】

ボーボリ庭園は、ピッティ宮殿の裏手にあるイタリア式古典庭園です。

コジモ1世の公妃エレオノーラの命で、1550年、ニッコロ・ベリーニの設計によって造園されます。

園内には、円形劇場、『グロテスク』の語源となったといわれる【グロッタ洞窟】をはじめとした数ある洞窟、彫像などの芸術と緑豊かな自然とが織り成す、野外美術館のようだとも。

この庭園からは、サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂(ドゥオーモ)クーポラ(ドーム部分)が見られます。

♔ちなみにこのクーポラの設計はフィリッポ・ブルネレスキです。

2013年に『トスカーナ地方のメディチ家の邸宅群と庭園』として、ユネスコの世界遺産に登録されています。

これはフィレンツェにおいてのメディチ家ゆかりの12の邸宅と2つの庭園で構成されたものです。

 

まとめ・感想

花の都、芸術の都と言われるフィレンツェは、それこそルネサンス芸術を満喫するのにうってつけの街ではないでしょうか。

ピッティ宮殿をはじめ、ウフィッツィ美術館、大聖堂などなど。

目が疲れても緑豊かな自然が癒してくれそうです。

 

 

参考資料:ピッティ宮殿公式サイト=http://www.palazzopitti.it/

参考資料:ギャラリー=http://www.uffizi.it/

参考資料:世界で一番美しいお城 水野久美著/大和書房 2014年

参考資料:ヨーロッパの「古城・宮殿」がよくわかる本 監修者 桐生操/編集 ㈱レッカ社/㈱PHP研究所 2010年

他多数のWebサイトから参考にしております

 

Pocket

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です