イングランドの古城【ウォリック城】

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ウォリック城


lylanesによるPixabayからの画像

中世の時代、軍事拠点とされていたイングランドの【ウォリック城】

バラ戦争ゆかりの地として知られる古城です。

 

国名 / 所在地

イギリス(イングランド)/ 中部地方、ウォリックシャー、ウォリック

(正式名称:グレートブリテン及び北アイルランド連合王国)

 

概要

11世紀に、征服王ウィリアム1世が創建したウォリック城は、ウォリック伯に引き継がれ軍事拠点とされていました。

モット・アンド・ベーリー様式の木製のものから石造りのものに変化し、要塞としての強化が進められ改築を繰り返し行われていきます。

18世紀には、ランスロット・ブラウンによって広大な庭園が造園されます。

現在、著名人たちの蝋人形で知らる〈マダム・タッソー・グループ〉が所有し、城内で蝋人形が見られます。

また、国内指定遺跡として、英国政府の保護化にあります。

 

建築様式

モット・アンド・ベーリー様式

※モット=小山または、小丘。ベイリー=堀や木柵などで囲んだ外壁やその領域。

11世紀に、征服王ウィリアム1世がイングランドに持ち込んだ簡易的な建築様式で、当時数多くこの様式の要塞を建てています。

主な特徴として、

①ベイリーの部分に溝を掘って堀を作り、木柵や土塁などで囲う。

②モット部分には、主に住居や倉庫とした円形状の建物(keep)が建てられる。

③要塞の入口には跳ね橋が設けられ守られている。

12世紀頃、keepは木造りから石造りに変わっていき、形も楕円形や八角形など多種になっていきました。

 

建築の歴史

起源は914年。エイヴォン川沿いにある崖の上に、アングロ・サクソン人が砦を築きます。

1068年、その砦の跡地にイングランド征服王ウィリアム1世が最初の城を築きます。

1088年以降、ウォリック伯が所有します。

12世紀には、囚人の監獄として使用されていました。エドワード4世も監禁されていました。

13世紀後半、もともと木造りのモット・アンド・ベイリー様式の城は石造りで再建されます。

15世紀に現在の姿となります。

15世紀の城主、ウォリック伯リチャード・ネヴィルは、バラ戦争(✽)において『キングメーカー』と呼ばれる人物です。

彼は、ウォリック伯の嫡子である娘と結婚し第16代ウォリック伯となります。実権を握るため、王権争いの最中ランカスター家とヨーク家を行ったり来たりします。

しかし、1471年、エドワード4世とその弟によって戦死します。

1750年代、ランスロット・ブラウンの設計による64エーカーの広さを持つ庭園が造られます。

その後、『マダム・タッソー・グループ』に買収され、現在に至ります。

 

ウォリック城はアミューズメントパーク!

ウォリック城では、毎日いろいろなショーや歴史的アトラクションが行われています。

♔まるでアミューズメントパークですね(^^♪

タッソー・グループの所有になり、観光地として整備されています。また、城内の至るところに蝋人形が置かれ、中世時代の生活ぶりを再現しています。

ウォリック城へのアクセスは、車、鉄道、飛行機のどれも便が良く、観光地都市としても知られるバーミンガムや、ウィリアム・シェークスピア生誕の地、ストラトフォード・アポン・エイヴォンにも近い距離にあります。

 

まとめ・感想

ウォリック城は、保存状態がとても良いことから、アトラクションやショーなども迫力があり、まるで中世にタイムスリップした気にさせてくれるのではないでしょうか。とても興味がありますo(^▽^)o

 

 

✽赤バラ=ランカスター家。白バラ=ヨーク家。イングランドの王位継承権をめぐり、ヨーク家とランカスター家の戦い。

最終的にランカスター家が勝利、その際に活躍したテューダー家のヘンリー7世が、ヨーク家の王女と結婚しテューダー朝が開始されます。

 

 

参考資料:ウォリック城公式サイト=https://www.warwick-castle.com/

参考資料:いつか行きたい ヨーロッパの世界でいちばん美しいお城 / 水野久美著 / 大和書房 2014年

参考資料:イギリス史10講  近藤和彦/岩波書房 2013年

他多数のWebサイトから参考にしております

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