ラインフェルス城
Katja S. VerhoevenによるPixabayからの画像
ライン渓谷最大規模を誇る古城【ラインフェルス城】
国名 / 所在地
ドイツ連邦共和国 / ラインライト・プファルツ州、シュロスベルク、ザンクト・ゴアール山上
建築様式
ルネサンス様式
概要
スイスからオランダまで流れているライン川は、古くから水運に利用され、中世の時代には数多くのお城が築かれました。
そのライン川沿いにある街のひとつ、ザンクト・ゴアールの山上にラインフェルス城があります。
この古城は18世紀に廃墟となり、一部は古城ホテルとし、廃墟の部分を多く残したまま【要塞博物館】となっています。
歴史
ラインフェルス城は、1245年にカッツェンエルン・ボーゲン伯ディーター5世によって、通行税徴収のために建造されます。
1256年、増税に対し、ライン都市同盟が反発し1年以上もお城を包囲されています。
15世紀初めには、ディーター5世とその弟エーベルハルト1世の2系統に分かれていたのを、ヨハン4世によって再統合されるまで、その間に両家の城館として整備されています。
15世紀後半、カッツェエルン・ボーゲン伯家の最後の当主フィリップ1世が亡くなるり、その娘婿であるヘッセン方伯家が後を継ぎますが、遺産争いが起こり、ヘッセン・ダルムシュッタット方伯が城主となります。
17世紀、何度となく増改築を繰り返し、堅牢な要塞であったお城は、フランス軍の攻撃からも持ちこたえています。
しかし、1794年、フランス革命によってとうとう破壊され、廃墟となります。
19世紀、廃墟となっていたラインフェルス城は、ザンクト・ゴアールの商人に買い取られます。
1843年、プロイセン国王ヴィルヘルム1世(後のドイツ皇帝)がラインフェルス城を買取り、20世紀に修復再建します。
1925年、ザンクト・ゴアール市の所有となります。
現在一部は古城ホテルとなり、それ以外の部分は要塞博物館として一般公開されています。
2002年に、ユネスコの世界遺産『ライン渓谷中流上部』に登録されています。
廃墟の要塞博物館とライン川沿いの古城
廃墟となっていたラインフェルス城は、19世紀にヴィルヘルム1世が一部のみホテルとし、ほとんどの部分は廃墟のまま【要塞博物館】として見学が出来ます。
お城の塔から見えるライン川沿いの街は、絶景だと評判です。
♔ラインフェルス城のあるザンクト・ゴアールとその対岸であるザンクト・ゴアールスハウゼンの間に渡船場があります。(そこからお城までは徒歩10分くらい)
ザンクト・ゴアールスハウゼンの都市はドイツの世界遺産の一つであり『ライン渓谷中流上部』の一部として登録されています。
ラインフェルス城が建っているザンクト・ゴアール山上からライン川を挟んで対岸にある『ローレライの岩』や、【ノイ・カッツェエルン・ボーゲン城】(カッツ城、またはネコ城と呼ばれています。)を見る事が出来ます。
カッツ城は、ラインフェルス城の築城から約100年後に、カッツェエルン・ボーゲン伯ヴィルヘルム2世によって建てられたお城です。
左岸にラインフェルス城、右岸にカッツ城を築いた事により、軍備強化され、税収も行っています。
また、ライン川をさらに下るとネズミ城もあります。
正式名称は【トゥルムベルク城】ですが、ボーゲン伯がこのお城のすぐ隣に一回り大きいカッツ城を築き、隣接しあう2つの城の様子をネコとネズミに例えてニックネームが付いたのだとか(^^)
♔このカッツ城(ネコ城)の現在の所有者は、日本の方だそうです。高級ホテルとなっており、一般では公開されていません。ネズミ城も個人所有ですが、こちらは一般公開されています。
まとめ・感想
ラインフェルス城は、古城ホテルとして、また、城跡博物館としての2つの面を楽しむ事が出来る古城です。
ライン川流域に建てられた多くの古城の中でも大規模な要塞で、廃墟と言えども見ごたえありそうですね(^^♪
そして、ほぼそのままの状態で残されているという事で、中世のお城の造りや仕組みなどが知れるのも魅力的です☆彡
参考資料:ラインフェルス城公式サイト=https://www.schloss-rheinfels.de/
参考資料:世界一美しい夢の城図鑑/世界のお城研究会 編/宝島社 2014年
参考資料:世界の城郭 ドイツ・北欧・東欧の古城/太田静六 著/㈱吉川弘文館(新装版)2010年
他多数のWebサイトから参考にしております
コメントを残す