リーズ城
David MarkによるPixabayからの画像
6人の王妃たちに愛され居住していたことから、『貴婦人の城』と称された【リーズ城】
国名 / 所在地
イギリス(イングランド)、南東部、ケント州、メードストン
※(正式名称:グレートブリテン及び北アイルランド連合王国)
建築様式
ノルマン建築様式、チューダー建築様式
建設の歴史
リーズ城の基礎は、9世紀半にサクソン人が建てた木製の要塞です。
1119年、イングランド王ヘンリー1世統治時代に、ノルマン男爵によって石造りの要塞が建てられます。
1278年、エドワード1世が王妃であるカスティーリャ女王エレノア・オブ・カスティルのために改修を行います。
♔この時代の名残りがある北側の小島に建てられた棟は、グロリエット(Gloriette)と呼ばれています。
エレノアの死後、フェリペ4世の妹マーガレットと再婚したエドワード1世は夫人に財産を残します。それ以降、リーズ城の所有権は未亡人となった王妃が受け継ぐ慣わしになったとされます。
エドワード2世の妃イザベラ・オブ・フランス、リチャード2世の妃アン・オブ・ボヘミア、ヘンリー4世の妃ジョーン・オブ・ナヴァール、ヘンリー5世の妃キャサリン・オブ・ヴァロアが所有していきます。
16世紀、ヘンリー8世と最初の王妃キャサリン・オブ・アラゴンによって宮殿は現在の姿となります。
1552年、王の死によって側近が所有者となります。
その後は大きな島部分に”新城”が建設されます。
しかし、お城の維持費は大変であるため、売却や譲渡が繰り返されます。
17世紀半、小島のグロリエットは監獄となっていて、捕虜による放火で大部分が焼失してしまいます。
その後、約60年間お城は放置となります。
1822年、新城主によって【グロリエット】の修復を兼ねた新しい城館の建設を始めます。
1920年に、重い相続税のため売りにだされるも、長い間買い手が付きませんでした。
1926年、『ベイリー夫人』として名をはせる、イギリス人実業家を父に、米国の大財閥のホイットニー家令嬢を母にもつ、オリーブ・セシリア・パジェットがリーズ城を購入します。
オリーブは、パリの建築家デザイナーアルマン・アルベール・ラトーに依頼し、お城の大改修を行います。
国会議員であるオリーブの3番目の夫ベイリー卿の人脈のおかげもあり、オリーブ自信もリーズ城も、英国上流階級で一躍有名になったとされます。
1936年以降は、室内装飾家ステファン・ブーダンによって、多くの部屋が現在の姿に改修されていきます。
ベイリー夫人は自分の死後に家族への負担を避け、財団をつくります。
後にリーズ城、庭園、そして夫人がイタリアやフランスで収集した調度品などが一般公開されるようになります。
リーズ城の見所
【グロリエット】、【ゲート・ハウス】、【新城】、【乙女の塔】など、見所まんさいなリーズ城。
リーズ城の維持費は1年を通して行われる様々なイベントの収益金でまかなわれているそうです。
夏のフラワーアート祭りや、クラッシック・コンサート、花火大会など。ゴルフコース(ハーフ)、そして宿泊施設もあります。また、国際会議などにも使用されています。
お城の敷地内には、2400本の【いちいの木】で作られたと言われる【巨大迷路】のアトラクションで楽しめます。
ゴールまで行くと迷路の地下に出きた洞窟があり、そこを抜けると地上に出られるようになっています(所要時間約15分)。
また、広大な英国式庭園を散策したり、ベイリー夫人がお城のシンボルとした黒鳥(ブラック・スワン)や孔雀などが放し飼いされている姿を見る事が出来ます。
鳥舎では、100種以上もの珍種が飼われています。
城内には、宴会場などで使用された【ヘンリー8世の大広間】や【女王の部屋と浴室】、ブルーグレイを基調とした壁と装飾品がおしゃれな【ベイリー夫人の寝室】など、たくさんの部屋があります。
まとめ・感想
リーズ城は、『英国で最も美しい城』といわれていますが、500エーカーにも及ぶ草地と湖に浮かぶその姿は、確かに美しい佇まいで絵になる古城だと思います。
実は、当ブログのトップページ画像はこのリーズ城なんですよ(^^)
♔こちらからの頂きものです♥
広大な敷地内にはぶどう園もあり、ここで栽培されるぶどうは”リーズ城産ワイン”として、城内の地下貯蔵庫でねかせられるそうです。
参考資料:公式サイト=https://www.leeds-castle.com/
参考資料:ヨーロッパの「古城・宮殿」がよくわかる本 桐生操監修/株式会社レッカ社
参考資料:世界一美しい夢のお城図鑑 世界のお城研究会(蓮見清一)/㈱宝島社 2014年
他多数のWebサイトから参考にしております
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